こんにちは、saraです。 私にとって中国人との初めての出会いは母親が私を妊娠している時にまで遡ります。 それはどうしてか?今からお話させていただきます。 80年代のスペインのバレンシアという街にはまだ東洋人がほとんどいなかったそうです。 (ちなみに2012年現在の移民局はアフリカからの移民が大量にいて、続いてアラブ系や数名の中国人、パキスタン・インド人などの東洋人たちという順に多い気がします。) 両親のスペインでの友人のうち、数名は移民局で順番待ちをしている時に話しかけられたという人たちです。順番待ちと言っても当時は毎日早朝から並んで、やっと数日後に中に入れるというぐらい待たなきゃいけなかったみたいです。 当時私を妊娠していた母親が移民局で順番を待っていると、片言のスペイン語で中国人の人が話しかけてきました。 「君たち子供ができるのか?ご飯の心配はないか?うちでちょっと仕事を手伝わないか?」 というような事を言われたそうです。もちろん私の両親も片言のスペイン語しかできないので、お互いの会話は「これ作る!」「分かった!」「これできる?」「できる!」みたいな会話だったと母は振り返ります。 自分の両親のような芸術家という職業は展覧会やアート系のイベントが立て続けにある時は忙しくなって、経済的にも一気に余裕が出来る訳ですが、逆に数年間仕事がないというようなこともザラにあります。 きっと当時もどちらかというと展覧会に恵まれない時期だったのかもしれません。もしくは妊娠中で思うように仕事ができていなかったとも考えられます。 移民局で両親に話しかけてきたという中国人はバレンシアで初めて中華料理店を開いた人でした。家族を中国に置いて一人で出稼ぎでやってきた人で、「レストランの入り口に龍の絵を描いてもらいたい」と言われて父親は龍の絵を描いて、妊娠中の母親はデザート作りの手伝いをしていたそうです。母は今でも時々杏仁豆腐を作るけれど、もしかしたらその頃に習ったものなのかもしれないです。 両親がレストランで手伝いをしていた頃は店の人たちと一緒に所謂まかないの昼ご飯や夕食を共に食べていたと言っていました。母親のお腹はすぐに大きくなって、レストランでのお手伝いもごく短期間だけで終わってしまったと言っていたけれど、私の...