スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

7月, 2012の投稿を表示しています

芸術家の娘006

こんにちは、saraです。 今回は理系脳と文系脳について少し語ってみたいと思います。 日本では高校以降から完全に理系か文系かに分けて勉学を始める訳で、他の国でもきっと同様に「理系」なのか「文系」なのかで進学する大学の選択肢や就職先など全く違う人生になると言っても過言ではないぐらい大きな違いが生まれてくるのだと思います。 ただし、自分の事を考えてみるとただ「理系」とか「文系」とかに縛られてどちらか一方の才能しかないというタイプの人間とは少し違うのではないか?と思うことがよくあります。 人間には「ビジュアルで考えている人」と「言語で考えている人」の二種類のタイプがいると聞くし、右脳中心の人間か左脳中心の人間か?というような本で紹介されている通り、みんなある程度どちらかに分類することができると考えられているように感じます。 周りには言語や論理について理解して運用する能力は高くても図形やサイコロの裏側がどうなっているか?という事を全く想像する能力がない人もたくさんいます。それを聞くと「この人は言語中心なんだな」というように比較的はっきり分かる人が多いように思います。 自分の家族はというと私以外は全員理系で親は芸術家ということもあって完全に「ビジュアル中心」の血筋を感じます。 同時に、小さい頃からいろんな言語に触れて育ったせいか、言葉に対しても敏感に育ってきていて、弟のように本を読もうとしても3秒で眠りに入ってしまうような理系頭の人と違って、自分はそれなりに読書や文章を書くということを楽しんできました。 以前の会社は完全に理系中心の「機械系メーカー」で、営業の人は基本文系という環境でした。会社の上の方にいる人たちの中には「文系と理系の部署で全く意見が合わない事が多くて、お客さんのニーズが開発まで届かないから全く無駄な物を必死になって作っていたり、すでに実現できる技術があるのに営業が取引先に無理だと断ってしまったり、非効率な事が多い。」と嘆いていた人もいました。理系だらけの部署の人からも、文系だらけの部署の人からも「誰か両方について理解できるような人が橋渡しになってくれる日が来たらいいけれど・・・」という話を聞くこともありましたが、そもそも会社の中ではどちらの部署がより価値があるか、より「儲け」を生み出せているかというような競争のようになっていて部署同...

芸術家の娘005

こんにちは、saraです。 今回は日本の学歴社会と自分の経験とを織り交ぜて話をしたいと思います。 高校に行かずに大学に行く。と聞くと普通の人はどう感じるでしょうか? 私は高校に通わずに大学に進学しました。 でも、こういった変わった経歴の人間 は日本ではまだまだ珍しい部類に入ります。 地元福井では短大卒という女友達が最も多く、田舎には「女が四大なんて。」という人も少なくありません。福井の女性は昔から京都などで「お手伝いさんや女中さんは福井出身の人が真面目でよく働く」と言われてきたそうで、若い頃から働いてたくさんお金を貯める方が少し賢いだけの怠け者より「大したもん」と言われるような社会です。 時代は違いますが私のおばあちゃんについて言えば、若い頃に大阪に出て地元に戻って初めて自分の美容室を持ったのが21歳というから驚きです。こういう独立心と起業心旺盛なところも福井女性らしさと言えそうです。 さて、日本は学歴社会だ!と言われているけれど、本当にそうなのでしょうか? 大学まで終えて自分が感じている印象は日本の教育制度や「学歴社会」と呼ばれているものは電車でいうところの「快速電車」のようなものだと思います。決して新幹線や急行電車のような制度ではないと思います。 ということで、一度何らかの理由で途中下車してしまってもまた急行や新幹線に乗り換えて快速に追いついたり、各駅停車に乗り換えてのんびり進むということも不可能ではないと思います。 とは言え、経歴書に謎の空白や人と違う別の履歴があるというのは明らかに「風変わり」と思われることには間違いないです。笑 さて、私はどのようにして中卒から大卒になったのか、少し説明してみたいと思います。 1、中学時代に病気になって入院生活を送る。 2、出席日数ギリギリで中学を卒業。入院中につき、高校受験を断念。 3、高校二年に当たる年齢で大検(大学入学資格検定、現在は高認と呼ばれる高等学校卒業程度認定試験という名称で8科目になったそう。)を受験。周りは高校を退学になったと思われるアフロ頭やバイク野郎など全員不良にしか見えないような出で立ちの人ばかりで、隣の席には明らかに麻薬中毒者と見て分かるような注射跡だらけのお姉さんが座ってくるという状況の中、12科目という途方に暮れるような量の試験を受けて、合格する。 4、大...