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6月, 2012の投稿を表示しています

芸術家の娘004

こんにちは、saraです。 今回は私が中国文化や中国語に興味を持ったきっかけを思い出してみたいと思います。 タイトルにもあるように両親が芸術家(父は画家で母は彫刻家)なので、親の仕事の量や忙しさにはバラつきがあります。私が小さい頃は母の彫刻の仕事が忙しくて、作品の納期が近くなってくると両親二人共夜中になっても帰ってこないというのが普通の日々でした。 母の作品の多くは鉄やブロンズ、アルミニウム、石などの素材を使うので、溶接や仕上げの作業が遅れたり、納期に間に合わないとなると職人に任せるだけでなく両親たちもグラインダーやヤスリを使って研磨の作業をしていました。 ということで、幼い私は日本に戻ってすぐの三歳からお留守番生活が始まりました。 親も遅くまで帰れないのを気にして、私にお留守番の時に見るビデオというのを用意してくれたりしました。 私は音楽が大好きだったので、マイケル・ジャクソンの映画「ムーン・ウォーカー」や、ビートルズのシュールな映画「イエローサブマリン」、子供向けのクレイアニメなどなど。中にはツイ・ハーク(徐克)監督が製作した幽霊の出てくる映画などもありました。 ちなみに我が家では漫画、ドラマ、雑誌などは「想像力が乏しくなる」という理由で全面禁止で、なぜか映画は見ていいと言われて育ちました。 当時はほぼ毎日のように親の帰りが遅かったので、私はただひたすらこれら数本のビデオを繰り返し見ていました。でも大抵の場合、映画一本を全部見終わるよりも先に自分が寝てしまっていました。 私が小学校になった頃に1キロ離れた友達の家よりも更に近い、子供でも歩いて3分ぐらいの場所に同じ年の転校生がやって来ます。それまではジェニーちゃんやリカちゃんでお馴染みの人形遊びと子供向けの映画しか知らなかった私ですが、東京からやって来たという彼女の家には田舎にしては珍しく変わった漫画やビデオがたくさん置いてあって、うちにある見飽きたビデオよりも面白い物がたくさんありました。彼女の家には当時日本で流行っていた香港のキョンシー( 殭屍 )映画のビデオがたくさんあって、毎日一本ずつ、学校が終わるとランドセルだけ家に置いてその子の家に通ってたくさんビデオ鑑賞をしていました。(80年代後半) 日本でキョンシー映画の流行が終わって少しすると、また香港からゴールデン・ハーベスト(嘉禾電影有限公司...

芸術家の娘003

こんばんは、saraです。 最初の投稿で私は日本の田舎で育ったと書きました。 もちろん、地域によって習慣や行われている行事など全く違うものだと思いますが、あくまでもその一例として今回は私の実家のある地域の農村社会について書きたいと思います。 私が三歳から育った田舎には、歴史の教科書の中でだけ使われているような古い日本語の単語を今でも日常的に使っている人がたくさんいます。例えば「年貢米」や「寄合」と言った言葉です。 この「寄合」は私たちの地域ではどの田畑にどういう順番で水を配分するか、というようなことを決める会合のようなものです。他にもお祭りなどの行事をいつ行うかなども議論されます。 また、私の田舎では今でも藁でできた蓑などを愛用している農家の方を多く見受けます。葛飾北斎の浮世絵に出てくるような風景が今でもそのまま残っているような場所です。宮崎駿の「となりのトトロ」に出てくるような田舎の風景を想像してもらってもいいと思います。 私の実家には毎年ご近所の方からの「年貢」が届きます。ある日朝起きると玄関の前に野菜が置いてあったり、家までお米を持ってくる人がいたりするのです。 これは、私の実家が昔地主だった頃の名残で持ってきてくれているようですが、どれぐらい前からその習慣があるのかは不明です。ただ、元々私の先祖に当たる人が持っていた土地を農地改革や話し合いで過去に譲渡された人たちが、慣習的に行なっているようです。 私の実家から一番近い友達の家まではちょうど約1キロあります。3歳の頃に初めて彼女の家まで「歩いて行ってみなさい」とおばあちゃんに言われて一人で行った時には、山を一つ越えてその先に行くぐらい遠い場所だと思いながら歩いたのを今でも覚えています。 そんな地元の友達の家にも今はインターネットが通っていて、海外からの留学生のホームステイ受け入れなどをやっているらしいです。 私がスペインに行くと地元の友達に話した時には「あんなド田舎から外国にお嫁さんに行く人がいるなんてびっくりやな~」と言われました。 田舎には都会の便利さなどはないけれど、その代わりに昔からの強いコミュニティーがあります。 町の中のどの家にも大抵屋号や通称名のようなものがあって、例えば昔水車があった家には「みずぐるま」という名...