スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(日本)が付いた投稿を表示しています

日本的校园暴力

日本一所普通的中学,1年B组即将迎来春假。不知天高地厚的学生们肆意吵闹,殊不知一场绵亘数月的风暴正向他们袭来。班主任森口悠子全然无视这片混乱,静静地向学生们做出最后的告白。这个单亲妈妈独自抚养着可爱的女儿在游泳池中溺水身亡。警察认定这是一起意外,森口则认定女儿死于班上两个学生之手。她不动声色地指责着犯人A和B,并宣布用自己的方式进行复仇。在此之后,森口辞去教师职务,1年B班的学生也心怀惴惴迎来了春假。新学期开始,残酷的风暴袭向了这群无知无畏的少男少女…… 这是描写日本新世代校园犯罪的推理小说《告白》中单亲丧女妈妈的复仇计划,其结局极具争议,考验日本民众的伦理观和正义感。喜欢日剧的人不难发现,以反映校园暴力为题材的影视作品在日本经久不衰,拥有广泛的观众,这也说明校园暴力问题的严重性。 校园暴力也称校园欺凌,是指行为人以校园为背景实施的暴力攻击行为。其中包括:学生间的暴力行为,师生间的暴力行为,以及校外势力对在校师生的暴力行为,对学校设施、设备的损毁。如今这个概念已经超过了校园这个范畴,而且欺凌过程蕴藏着一个复杂的互动状态,欺凌行为会使学生产生心理问题,影响学生健康,甚至影响其人格发展。 “恶意的欺凌与时代无关,是高密度封闭性人际关系中的必然产物。”--日本校园暴力研究学者内藤朝雄 在日本,16%的日本学生做过欺负别人的事,35%的人被欺负过,既欺负过别人又被别人欺负的占38%,两者都没有的仅占12%。经常受欺侮的孩子通常会情绪低落、感到孤独,由此引起学习成绩下降和失眠,继而发展成逃学,严重的甚至会导致自杀;而对欺侮者来讲,欺侮他人很容易形成相当稳定的习惯,导致以后的暴力犯罪。 2012年中小学校纪录的认知校园暴力事件就有20万件之多。令人难以置信的是,日本校园暴力之普遍,就连日本皇太子德仁的8岁女儿爱子也不能幸免。2010年初,爱子因在校遭受男同学揪头发的暴力行为,导致一度“登校拒否”,甚至一度想去英国读书。 今年6月日本内阁府公布的2015版《儿童和青少年白皮书》的长期跟踪调查显示,近六成学生曾受到“被同伴排斥、无视、背地里说坏话”等典型的欺侮。既有肉体欺凌,又有精神欺凌;既有暴力折磨,也有网络围攻。近40%的儿童受他人欺侮或欺侮他人的经历均超过6次。日本内阁府分析称,“受害者或加害者不一定是特定的同一个孩子。多数儿童同时经历过受害和加害,以交替形式出现。” 名古...

东京生活自白

我生活在东京,是一枚白领。平时一身黑色西装,一只手提公文包,从通勤地铁到写字间。我的工作是给客户提供解决方案,却发现自己所在的庞大臃肿的组织结构最应该先被解决。平日在发现问题和解决问题上兜圈,周末了在家附近遛弯。晴天就多走几丁目去围观私家大院的奇特建筑;阴天就到区民图书馆翻翻东洋经济和日经商业。雨天会窝在星巴克看闲书,或索性宅在家看美剧。 最近在读瑞典推理小说家斯蒂格·拉森千禧年三部曲的第二部《玩火的女孩》,星巴克一坐就是一下午。虽然手头只有朋友送的早川文库日译本,却丝毫不会让人感觉到是一本翻译的书,俨然一本日本侦探推理小说,除了人名地名外,一点都不国外。书看得甚是投入,走的时候发现星巴克沙发上留下一大屁股印。。。 我喜欢日本社会的井井有条。干什么都有个秩序,讲究先后顺序,买东西真不二价,服务态度也毕恭毕敬。做什么都有相应的制度,执行也透明,没太多特别待遇。在这里生活的交易成本比较低,社会公平性做得好,生活满意度也高。唯一的缺憾是有时候过于拘泥规章制度,有些教条死板,发展到极致就是墨守成规不思进取。 东京的生活是安静的,没有颜色的,很难察觉出变化。久而久之,对周遭事物的观察和感悟不灵光,原本新奇的事物也见怪不怪了。最近尝试着过把生活节奏降下来,慢慢咀嚼重新审视身边的细节。上班改成了脚踏车,周末出门也多步行。天气好的时候一走就是十多公里,一路上收获还真不小。上周两个人抽风,非要沿路数中华料理店,一人选一边,看看谁的店数多。从午后数到天黑,最终还是我的左侧更胜一筹。我们把有趣的店名拍下来,整理到一起。本打算贴出来的,后来想了想,直接丢进了回收站。享受的是过程,干嘛非要搞个结果留念呢。下周我们去比拼便利店。 自从搬出早稻田就不坐地铁了。从地下到地上的通勤方式让我把注意力从人转到了景,或者说整体画面中流动的人。感觉更能体会日本传统美学“侘寂”中内含的朴素和安静。不知道是秩序屏蔽掉噪声使得事物更接近自然状态了吗?

日本人真会过劳死吗?

文/三田 端正的工作态度是做给别人看的,在日本也一样。这个,我进公司那阵儿就懂了。下班要等领导和前辈先走之后才能动,老一代日本管理层坚信大家一起加班奋斗才是团队精神的体现,同时还能维系同事间情感,他们中的很多视加班为职场润滑剂。 最初我也先走过几次,因为工作都干完实在无聊。没多久前辈就旁敲侧击地开始”关怀“我的工作情况,同期(同一年进公司的应届生)也会私下与我”交流“,领导甚至都不用给脸色,自诩工作高效、态度认真的我就拗不过,乖乖顺服下来。当然后来加班愈多也没机会早回去,回家的问题就自然而然地解决了。加班越发红火,却发现一直否定我工作”作风”的那位同期一个礼拜没来上班,才意识到加班也有适合不适合这一说。等到他一个月都没来露面的时候,终于从前辈那里听到了官方说法:他得忧郁症了。一个平时谈笑风生工作起来认真负责的人,精神面却脆弱得可怜。修养一年后归队的同期被调到处理杂务的企划部门,做着不痛不痒的活儿,我也不知道他是被抛弃了,还是被救了。只能感叹:不愧是发明”过劳死“的国度,对待此类事物如此镇定自若,处之泰然。 过劳死是因为工作时间过长、劳动强度加重、心理压力过大、存在精疲力竭的亚健康状态,由于积重难返突然引发身体潜藏的疾病急速恶化。日本的经济奇迹造就了“过劳死”一词,经济奇迹的泡沫破灭后,企业通过削减人工成本及雇用兼职员工的方式,来应对需求持平或走软的状况,这意味着同样的工作量,要由数量下降了的全职雇员来承担完成。据说30来岁的男性超时工作问题尤为严重。官方数据显示,他们中有四分之一的人每周工作时间超过了60个小时,真实的数字则可能更高。 (上图平成25年是2013年) 大家或多或少都听过有关日本公司的加班轶事,其实没大家想象那么惨。NHK做过统计,过去十多年过劳死/过劳自杀的数量虽有3倍之增,但还不到200人,远远低于失恋自杀的人数。《中国青年报》的数字才叫人惊悚:“巨大的工作压力导致我国每年“过劳死”的人数达60万人——中国已超越日本成为“过劳死”第一大国。意味着每天约超过1600人因劳累引发疾病离开我国。“我承认引用中国青年报的数据是一大失误,不过哪怕除去一个零,也是我国人民比岛国人民劳动于水生火热。 正如中国青年报报道的任性,日本企业的长时间敬业加班也大有水分。据经合组织(OECD)统计,日本企业员工的生产力偏低,同样时间内...

亲,来日本吧!

文/三田 早上6点起床,简单吃过早饭出门,他把车开到三岛站的停车场,走进月台看了一下表,五分钟后7:23发的东海道新干线驶来,列车途径热海、小田原、新横滨、8:09到达品川站后,再换国铁山手线到公司。这个人就是我的同事,叫渡边,每天提前半小时到公司,做起事来计划缜密、有条不紊。我问他每天要花掉3个小时往返公司不辛苦吗?他说车上可以看看书听听音乐,有时还能打盹小憩,习惯了就好。 针对首都圈上班族通勤状况的调查结果显示,上班族从家到公司单程平均耗时为58分钟,最多可忍受的时间为86分钟,而理想的通勤时间为35分钟。既不能太远,又要与公司、同事保持一定的距离。明澈淡远的君子之交被日本人所推重,而这微妙的半小时路程正好可以隔断公司的人情交际,独享生活私密空间。理想(35分)与现实(58分)的23分钟之差则是面对房价的妥协。 从1950年开始首都圈一都三县(东京都、神奈川县、千叶县、埼玉县)人口激增,60年比50年增加了37%,70年又比60年多增了35%,现今日本人口的四分之一居住在东京大都市圈。接受这些新增人口的是房价和地价相对较低廉的周边郊县,有代表性的如,西边的多摩新城和东边的千叶新城。此后在泡沫经济的催化下,距离市中心10-30公里半径的区域内堆满了大量的集体公寓和独栋住宅。 マイホーム(日式英语My Home)就是那个时代的日本梦,无异于我们今天的中国梦,和依然记忆犹新的破碎过的美国住宅梦。80年代许多在都心工作的上班族向银行申请了35年长期住房贷款,在开通私铁的郊县买地盖房。哪怕每天忍受早高峰一个半小时的通勤电车,想想老婆孩子能住上自家房一切都平静了。退休后用丰厚的退休金还清房贷,再拿剩下的钱把房子改造成两户式和子女一起生活。最终两套房子留给孩子,自己的养老问题也有了着落。 后来80年代末日本泡沫经济形成,信息产业、金融业等新兴产业向东京集中,这些郊县新城的功能性设想未能实现。如首都圈中有四个规模较大的新城(筑波、多摩、港北、千叶),除了筑波新城规划有大规模的高等院校及研究机构外,其他几处的“新城”都变为“卧城”。 到了90年代泡沫经济破灭后,首都圈人口增长放缓。2000年只比1990年只多增了5%,此后每年的增幅在1%徘徊。首都圈人口不增长了,反倒圈内的人口开始走动了。现在东京的年轻一代更倾向于离开父母在市中心租房。这种被称为“...

芸術家の娘003

こんばんは、saraです。 最初の投稿で私は日本の田舎で育ったと書きました。 もちろん、地域によって習慣や行われている行事など全く違うものだと思いますが、あくまでもその一例として今回は私の実家のある地域の農村社会について書きたいと思います。 私が三歳から育った田舎には、歴史の教科書の中でだけ使われているような古い日本語の単語を今でも日常的に使っている人がたくさんいます。例えば「年貢米」や「寄合」と言った言葉です。 この「寄合」は私たちの地域ではどの田畑にどういう順番で水を配分するか、というようなことを決める会合のようなものです。他にもお祭りなどの行事をいつ行うかなども議論されます。 また、私の田舎では今でも藁でできた蓑などを愛用している農家の方を多く見受けます。葛飾北斎の浮世絵に出てくるような風景が今でもそのまま残っているような場所です。宮崎駿の「となりのトトロ」に出てくるような田舎の風景を想像してもらってもいいと思います。 私の実家には毎年ご近所の方からの「年貢」が届きます。ある日朝起きると玄関の前に野菜が置いてあったり、家までお米を持ってくる人がいたりするのです。 これは、私の実家が昔地主だった頃の名残で持ってきてくれているようですが、どれぐらい前からその習慣があるのかは不明です。ただ、元々私の先祖に当たる人が持っていた土地を農地改革や話し合いで過去に譲渡された人たちが、慣習的に行なっているようです。 私の実家から一番近い友達の家まではちょうど約1キロあります。3歳の頃に初めて彼女の家まで「歩いて行ってみなさい」とおばあちゃんに言われて一人で行った時には、山を一つ越えてその先に行くぐらい遠い場所だと思いながら歩いたのを今でも覚えています。 そんな地元の友達の家にも今はインターネットが通っていて、海外からの留学生のホームステイ受け入れなどをやっているらしいです。 私がスペインに行くと地元の友達に話した時には「あんなド田舎から外国にお嫁さんに行く人がいるなんてびっくりやな~」と言われました。 田舎には都会の便利さなどはないけれど、その代わりに昔からの強いコミュニティーがあります。 町の中のどの家にも大抵屋号や通称名のようなものがあって、例えば昔水車があった家には「みずぐるま」という名...

芸術家の娘001

こんばんは。saraです。 タイトルの通り、私は芸術家夫婦の間に産まれました。 80年代にスペインで生まれ、三歳からは日本の福井という田舎で育ちました。 日本の「三つ子の魂百まで」という諺にもあるように、三歳までの幼少期をスペインで過ごしたことは私の人生にとって大きな影響を与えたように思います。 三歳の頃、初めて日本の空港に着いた時、私の親戚のおばさんたちに会った私は「ママ、外人がいっぱいいる。怖いよ。」というような事をスペイン語で話したそうです。 初めて会った親戚の人はもちろん普通の日本人なので、初対面と言っても誰もハグやキスもしないです。ただ、 「あら、サラちゃん?かわいいわね~よく来たわね。」と言うだけです。 それに対して私は「ママ、みんな私の事を誰も愛してくれないの?どうして誰もキスしてくれないの?」とスペイン語で言って泣き始めてしまったそうです。 恋愛関係も同様で、日本人の曖昧な表現や態度は例え若干の「好意」があると感じても、それだけでは何の「愛の証拠」にもならないじゃないかというのが自分の考えでした。 今まで、日本人と恋愛関係になったことは一度もなく、日本人の「愛の示し方」は私には今でも全く理解できません。 さてさて日本で長い間過ごした後、再びスペインに戻って来ました。 スペイン人の男性の日本人の妻として。 私はスペイン人から見るとまだまだパッションが足りないらしく、冷たい、よそよそしいと思われている気がします。 とにかく、態度やキスやハグで何度も「愛してる」と、友達同士でも家族の中でも常に確認していたい人たちのようです。 でも、一つだけはっきりと感じていること それはやっぱり、気持ちを示さない曖昧な関係よりは、ちゃんと相手に感謝や愛情を示せるような関係の方が健全だと私は思います。

当国界消失那天

以前在会馆住的时候,有位南京大学历史系博士生交换留学过来。他这个人性格开朗,笑起来像色狼,严肃起来像个同性恋。 刚开始以为他是研究日本史的,过来收集资料写论文。大家在一起说闲扯淡时难听他说两句有关日本的,倒是什么话题都能扯到中国的这个那个朝代,这本野史那些风流轶事,贪官污吏,这个美女那个流氓的。后来才知道他是个彻头彻尾的中国史专攻。 我就纳闷他来日本有何贵干? 他一本正经地说,在日本研究日本史的最终三分之一多会转到中国史方向上。原因有二:第一,日本用自己的文字记录历史以前很多都依赖中国史书的记载再现历史。也就是说,对于汉文和中国历史没有一定的理解意味着很难有进一步的成果。第二,日本史从地域和时间的维度上相对比较封闭,近百年的日本史研究已经逐步健全,很多领域没有多少研究余地或者说难有举世瞩目的成果出现。所以造成一部分学者出逃中国史。老实说日本的中国史研究不输给中国本国的研究。 他又笑眯眯地说,你知道日本历史上有一段空白吗?它不是焚书坑儒,或是当权者有意抹杀,而是有一年中原起了大火,烧了部分史书,而这史书记载的就是日本那段历史。我相信这是个笑话。 在宿舍的时候总能听他啰嗦,对于只关心现在和未来不计较过去的我未尝不是好事。后来我读到了历史学家葛兆光的文章,让我重新审视什么是中国,中国人,纠正了义务教育灌输我的某些观念。我也不再用主体思想套用于个体身上,因为国家这个概念已经随着时代变了。

よい週末031

4月の東京、エープリルフールは想定どおり何も起きなかった。ユーモアの少ない東京人にとっての最も幸せな行事だけれども、つまらないまま終わった。大地震のせいにするか、しても良いものか。今年の花見の宴会も自粛するようだ。なんか重い気分が・・・ 僕はまたテレビ無しの生活に戻っている。そのお陰で、大気中の放射線量が減りつつ、すでに標準以下に下がっているのではないかと思い込み、ひとまず安堵した。耳を覆って鈴を盗むと同じで、ちょっと気楽かも。 こんな落ち着かない東京に、今月は母がやって来る。放射線汚染で集団パニックが起きた中国人の中の異種かもしれない。日本も初めてだし、もちろん日本語もしゃべりれないし、英語も話せない。ロシア語なら多少できると言いつつ、簡単な挨拶程度でしか覚えてない。それにしても、ちっとも不安に思っていない。その勇気はどこから湧いてきたのだろう? 母の「日本語なしの東京生活」に期待せずにはいられない。毎日日記を書いてもらおうか。

よい週末014

土曜日でもうすっかり梅雨明けたようだ。これで夏が終わりなのか始まりなのか、僕にはわからないが、これから日当たりがよくなり、紫外線が大活躍する時期に間違いない。確かに紫外線の殺菌効果やビタミンDを作る能力もあるけれど、だからといって日当たりが大好きだと言えない。そのかわりに、夜のほうで頑張ってみた。タオルケットを買うまでに何もかけず(月光を浴びる)過ごしていた。 今週は銀座で1時間で1万円の研修を受けてきた。講師1名に生徒4人。ちょっとお得感がある。5分でも寝たら、昼ご飯分がなくなると思ったとたんに、目が覚めた。 驚くこともなく、民主党の惨敗で参議院の選挙が終わった。何にも決められないねじれ国会になってしまい、国家の権力決断の基礎を揺さぶった。 コミュニケーションの二段階の流れ理論はどこかで故障していたのか(マス・メディア→オピニオン・リーダー→個々の受け手)?影響力をもっているオピニオン・リーダーがいなくなったのか。あるいは、そもそも日本人の中で選挙はプライベートの領域だからなのか。私に化粧品を勧めてくれて感謝しているけれども、選挙はやっぱり自分で決めたいわという感じかな。 しかし、その時に限っては知らずにマス・メディアの影響を受けている。まるでマスコミとの二人きりの会話になり、「皮下注射効果」と呼ばれているマス・メディアの発するメッセージが直接に個人の内面に注入されることになってしまう。結局、あなたも説得されてしまうでしょう。 日本総理大臣入れ替わりの激しさはマス・メディアの“献身”なしにはできないだろう。民主党の惨敗は氷山の一角に過ぎない。これから、自民党の惨敗、日本政党への不信、そして、政府機関を罵倒し、国民を愚弄する時代に突入。マス・メディアの足かせは外され、狂う方向に拍車がかかるだろう。