昨夜はパーティーで疲れ果てて、友人とスカイプでチャット中に寝てしまった。本当にわるかった。翌日は早起きをしなければならないのに、終電で帰って横になったのは午前2時過ぎだった。しかも、パーティーで飲み過ぎたせいで、寝相が悪かったのか、寝冷えしたのか、首を寝違えてしまった。左右には動くけれども、頭の上げ下げができない。もちろん、後ろに仰向くのも不可能であるし、何よりも青空が見えない。せっかくのくまなく晴れ上がった春の空なのに。 いつもの日曜日、歩行者天国になった鶴巻町に、自転車に乗って悠々としているお巡りさん、大通りでキャッチボールしている親子、予言カフェで聖書を読み上げているキリスト教信者がいる。僕は鶴巻町図書館に向かっている。年寄りやホームレスに占領された1階閲覧室から立ち退いて、同世代が多く集まった”地下基地”にこもっている。せっかくの三連休だから、皆は資格取得に向けて猛勉強中。僕はテーブルの隅の席に腰を下ろし、ロンリープラネットの「東南アジア篇」を手にとって、読み始めた。 寝違えた首のせいか、なかなか集中して本を読むことが難しかった。姿勢を変えるたびに、意識もどこかに飛んでいった。本棚に並ぶ本に目を付け、村上春樹の翻訳したレイモンド・カーヴァーの「大聖堂」が目に入った。この本の中国語翻訳版は読んだことがある。あまりインパクトがなく、アメリカ中西部にある平凡な田舎町の、ごくごく普通の庶民の生活が描かれる作品である。でも、村上春樹に影響を与えた作家の一人として何となく似たところがわかる。作品の雰囲気だね(また曖昧な日本語を使っちゃった)。村上春樹の喪失感のただよう都市と「大聖堂」の人里離れた侘しい田舎が2重奏のようによく調和している。物に例えると、蒼井優の「午後の紅茶」より日が暮れたジャズバーの「山崎」、”刺激的な味わいが来て次第にそれが落ち着くと共にフルーティーな甘い香りが残る”という感じ? もう一度村上春樹の解釈した「大聖堂」を読もうかな。 宿題:あなたにとって村上春樹とは? 参考:中国の学生には「ノルウェイの森」人気 村上作品に共感 「一人っ子政策の結果、特に都市部では子供が溺愛(できあい)されて自己中心的な若者に成長しがちで、いったん挫折を経験すると孤独感や喪失感を抱きやすい。村上作品への共感はこの点と深い関係があると思い...