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ラベル(芸術家の娘)が付いた投稿を表示しています

芸術家の娘009

音楽バカとして、中国語圏の歌手で好きな人たちの事を少し紹介してみようと思う。 もちろん、普段は中国語圏の歌手だけでなく世界各国の歌手を聴いているけれど、最近 章子怡が汪峰と熱愛発覚だと聞いてたまには中国語圏の音楽も聴くか〜という気持ちになったので。笑 中国に住んでいた頃、オーディション番組とお見合い番組が大人気で、毎日夜ご飯の後のゴールデンタイムは大抵そういう番組を見ていた。 見ていて思った事は、本当にみんな歌が上手い!才能のある人がこんなにゴロゴロいるのかと驚くほど歌の上手い人はいくらでもいる国らしい。 でも、勝ち抜いて行く人たちには個性があったり独特の味があったりして、ただ上手いのとは違う魅力があるんだろうなーというのが感想だった。 そのオーディション番組で紹介されていた曲はどれも名曲と呼ぶに相応しい曲ばかりだと思うけれど、汪峰の北京北京という曲は特に印象的だった。 何より、北京という大都市の、大都市ならではの寂しさや空虚さ?みたいなものがじんわりと表現されていて、あんまり中国ではメジャーでない、ロックらしさがあるところも良いかなーと思う。 中国って日中はとても忙しくて、喧騒とした街ばかりなのに、夜の世界は一転して静かで人が少なめで風が冷たくて、何とも言えない静けさに包まれている。東京や香港は夜になっても中心部やその付近には人がたくさん行き来していてとても賑わってるイメージがあるけれど、上海や北京の夜って少し違うという印象がある。 オーディション番組でみんながカバーしていた人気歌手で言えば王菲もたくさんの名曲がある人だと思う。標準語だけでなく広東語の名曲もたくさんあって、日本でも知っている人が多い。 彼女の歌が好きなのは音が綺麗だから。韻を踏んでいる美しさは音に敏感な人なら特に中国語に詳しくなくても何だか心地がいいなって気持ちになるんじゃないかと思う。 中国というのはバラードとラブソングの殴り合いみたいな、そういうロマンチックな国で、そうでないジャンルで生きていくっていうのはある意味逆風に吹かれながら歩いていくような印象を受けるけれど上に書いた2人は何ていうか、自分でそのジャンルを開拓してきた人みたいなイメージもある。 大陸の人ではないけれど、中国語圏の歌手では方大同も私のお気に入り。スペインで行った私たち夫婦の結婚式では披露宴の音楽に方大同を選んだぐらい夫婦共...

芸術家の娘008

こんばんは、saraです。 上海に住み始めて3ヶ月が経ちました。 日本人としてこの時期中国に住んでて大丈夫?といろんな人から聞かれますが、上海は意外と大丈夫な方なんじゃないかと思います。 何もないと言うと嘘になるけれど、この前も「国の事は国の事だから、俺らの生活に関係あるのは日々の仕事や家族の事で、国の事じゃない。だから日本人だからって気にしなくていいよ。」と、あるタクシー運転手に言われました。 上海に住んでみて、一番のカルチャーショックだったのは地元上海人の考え方かもしれないです。香港に住んだ経験もあるし、大陸内の上海以外の地域出身の友人も多いのですが、これまでに接した友人や知人たちとは全く違った感覚で生きているんだなーとしみじみ思う事が多いです。 特にビックリしたのは彼らの恋愛感覚の違いです。 上海では、テレビのお見合い番組にも男性とその母親が同伴してテレビ出演しているような場所なので、やっぱり家族の意見が恋愛や結婚にも重要になってくるようです。 知り合いに外国人の60代後半と付き合っている上海人の20代後半の女性がいて、彼女と親しくなってよく話すようになったのですが、彼女に以前の彼氏の話を聞いたところ「前の彼氏は他の地方出身の大学の先生で3歳年上だった。」と話していました。日本で考えると3歳年上の大学の先生と、60代後半のおじいさんとどっちがいいかな?って考えた時に、ほとんどの人は「三歳年上の大学の先生」を選ぶんじゃないかと思います。でも、彼女にその元彼と別れた理由を聞いたところ「家族が上海以外出身の人は絶対にダメって猛反対だった。」と言うのです。それで、「今の彼氏については家族は何て言ってるの?」と何気なく聞いてみると「私のおばあちゃんもみんな気に入ってるし、よく週末に一緒にご飯を食べたりしてるよ。」との事。 でも、そのおじいさんは心臓にはペースメーカーが入っているし、前立腺がんの手術もしているので彼女が子供を産めるかというと絶望的なんじゃないかと思います。でも、家族も賛成と聞いたので「外国人なら上海人じゃなくても家族もみんな賛成って言うこと?」と聞いてみると、「うん、だって外人は外人だもん。」との事。 その時の会話は彼女には当然の事という感じだったけれど、私には何一つ理解できず・・・でも、話をよく聞くと「おじいさんはお金がたく...

芸術家の娘007

おはようございます、saraです。 最近、中国での物件探しを始めました。 今はスペインのバルセロナに住んでいて、今までスペインではバレンシア、マドリード、バルセロナで生活したことがあります。海外生活というと留学していた香港に住んでいたこともあります。短期留学では西安にも住んでいました。 今回、自分で物件を探そうとしてみていくつか驚いたことがあったので、この記事を書く事にしました。 もちろん、今までに本などで読んで知っていたこともあるのですが、日本と違って生活スタイルが本当に多様なんだなと実感させられました。 まだ海外生活の経験は浅いけれど、今までに見聞きした範囲で各国の状況を比較してみたいと思います。 スペイン 現在不景気ということもあって全体的に家賃はそんなに高くないです。私が住んだり見たりした範囲で言うと家賃は6万ぐらいから10万ぐらいの価格帯が一番多い気がします。郊外や地方都市だとかなり安く、都市部でもそこまで高くないという印象です。もちろん、高級住宅地の家賃はそれなりに高いと思います。広さは細かい数字までは聞いていませんが70平米以上ある場所が比較的普通なような気がします。間取り的には寝室が三部屋以上ある家に住んでいる人が多く、リビングやキッチンもゆったりしていて、シャワーやバス、トイレなどは二カ所以上ある物件が多いです。 スペインの物件がこういう間取りになる理由には家族や親戚、親しい友人というコミュニティーを大切にする習慣があるからだと思います。 大学生はお金がないので大抵は2〜3人ぐらいで上に書いたような一般的な物件をシェアしているケースが多いです。そうすると都市部の便利な立地で家賃が例え12万ぐらいしても二人や三人で分ければ4万〜6万ちょっとという感じで、かなり経済的になります。 中国の都市部でもそうらしいですが、ここスペインも基本的に賃貸には家具や家電の一部が付いている事が多いです。更に新しく必要な家具・家電を追加・交換してもらう際には追加で少しお金を払って大家に購入してもらうそうです。 日本 日本で大学時代に見聞きした友人の物件の多くは一人当たり7万ぐらいから13万ぐらいが多かった気がします。もちろん、家族で住めるような広さはなく、「狭くて友達も呼べない」という物件に住んでいる人が多かった気がします。 ...

芸術家の娘006

こんにちは、saraです。 今回は理系脳と文系脳について少し語ってみたいと思います。 日本では高校以降から完全に理系か文系かに分けて勉学を始める訳で、他の国でもきっと同様に「理系」なのか「文系」なのかで進学する大学の選択肢や就職先など全く違う人生になると言っても過言ではないぐらい大きな違いが生まれてくるのだと思います。 ただし、自分の事を考えてみるとただ「理系」とか「文系」とかに縛られてどちらか一方の才能しかないというタイプの人間とは少し違うのではないか?と思うことがよくあります。 人間には「ビジュアルで考えている人」と「言語で考えている人」の二種類のタイプがいると聞くし、右脳中心の人間か左脳中心の人間か?というような本で紹介されている通り、みんなある程度どちらかに分類することができると考えられているように感じます。 周りには言語や論理について理解して運用する能力は高くても図形やサイコロの裏側がどうなっているか?という事を全く想像する能力がない人もたくさんいます。それを聞くと「この人は言語中心なんだな」というように比較的はっきり分かる人が多いように思います。 自分の家族はというと私以外は全員理系で親は芸術家ということもあって完全に「ビジュアル中心」の血筋を感じます。 同時に、小さい頃からいろんな言語に触れて育ったせいか、言葉に対しても敏感に育ってきていて、弟のように本を読もうとしても3秒で眠りに入ってしまうような理系頭の人と違って、自分はそれなりに読書や文章を書くということを楽しんできました。 以前の会社は完全に理系中心の「機械系メーカー」で、営業の人は基本文系という環境でした。会社の上の方にいる人たちの中には「文系と理系の部署で全く意見が合わない事が多くて、お客さんのニーズが開発まで届かないから全く無駄な物を必死になって作っていたり、すでに実現できる技術があるのに営業が取引先に無理だと断ってしまったり、非効率な事が多い。」と嘆いていた人もいました。理系だらけの部署の人からも、文系だらけの部署の人からも「誰か両方について理解できるような人が橋渡しになってくれる日が来たらいいけれど・・・」という話を聞くこともありましたが、そもそも会社の中ではどちらの部署がより価値があるか、より「儲け」を生み出せているかというような競争のようになっていて部署同...

芸術家の娘005

こんにちは、saraです。 今回は日本の学歴社会と自分の経験とを織り交ぜて話をしたいと思います。 高校に行かずに大学に行く。と聞くと普通の人はどう感じるでしょうか? 私は高校に通わずに大学に進学しました。 でも、こういった変わった経歴の人間 は日本ではまだまだ珍しい部類に入ります。 地元福井では短大卒という女友達が最も多く、田舎には「女が四大なんて。」という人も少なくありません。福井の女性は昔から京都などで「お手伝いさんや女中さんは福井出身の人が真面目でよく働く」と言われてきたそうで、若い頃から働いてたくさんお金を貯める方が少し賢いだけの怠け者より「大したもん」と言われるような社会です。 時代は違いますが私のおばあちゃんについて言えば、若い頃に大阪に出て地元に戻って初めて自分の美容室を持ったのが21歳というから驚きです。こういう独立心と起業心旺盛なところも福井女性らしさと言えそうです。 さて、日本は学歴社会だ!と言われているけれど、本当にそうなのでしょうか? 大学まで終えて自分が感じている印象は日本の教育制度や「学歴社会」と呼ばれているものは電車でいうところの「快速電車」のようなものだと思います。決して新幹線や急行電車のような制度ではないと思います。 ということで、一度何らかの理由で途中下車してしまってもまた急行や新幹線に乗り換えて快速に追いついたり、各駅停車に乗り換えてのんびり進むということも不可能ではないと思います。 とは言え、経歴書に謎の空白や人と違う別の履歴があるというのは明らかに「風変わり」と思われることには間違いないです。笑 さて、私はどのようにして中卒から大卒になったのか、少し説明してみたいと思います。 1、中学時代に病気になって入院生活を送る。 2、出席日数ギリギリで中学を卒業。入院中につき、高校受験を断念。 3、高校二年に当たる年齢で大検(大学入学資格検定、現在は高認と呼ばれる高等学校卒業程度認定試験という名称で8科目になったそう。)を受験。周りは高校を退学になったと思われるアフロ頭やバイク野郎など全員不良にしか見えないような出で立ちの人ばかりで、隣の席には明らかに麻薬中毒者と見て分かるような注射跡だらけのお姉さんが座ってくるという状況の中、12科目という途方に暮れるような量の試験を受けて、合格する。 4、大...

芸術家の娘004

こんにちは、saraです。 今回は私が中国文化や中国語に興味を持ったきっかけを思い出してみたいと思います。 タイトルにもあるように両親が芸術家(父は画家で母は彫刻家)なので、親の仕事の量や忙しさにはバラつきがあります。私が小さい頃は母の彫刻の仕事が忙しくて、作品の納期が近くなってくると両親二人共夜中になっても帰ってこないというのが普通の日々でした。 母の作品の多くは鉄やブロンズ、アルミニウム、石などの素材を使うので、溶接や仕上げの作業が遅れたり、納期に間に合わないとなると職人に任せるだけでなく両親たちもグラインダーやヤスリを使って研磨の作業をしていました。 ということで、幼い私は日本に戻ってすぐの三歳からお留守番生活が始まりました。 親も遅くまで帰れないのを気にして、私にお留守番の時に見るビデオというのを用意してくれたりしました。 私は音楽が大好きだったので、マイケル・ジャクソンの映画「ムーン・ウォーカー」や、ビートルズのシュールな映画「イエローサブマリン」、子供向けのクレイアニメなどなど。中にはツイ・ハーク(徐克)監督が製作した幽霊の出てくる映画などもありました。 ちなみに我が家では漫画、ドラマ、雑誌などは「想像力が乏しくなる」という理由で全面禁止で、なぜか映画は見ていいと言われて育ちました。 当時はほぼ毎日のように親の帰りが遅かったので、私はただひたすらこれら数本のビデオを繰り返し見ていました。でも大抵の場合、映画一本を全部見終わるよりも先に自分が寝てしまっていました。 私が小学校になった頃に1キロ離れた友達の家よりも更に近い、子供でも歩いて3分ぐらいの場所に同じ年の転校生がやって来ます。それまではジェニーちゃんやリカちゃんでお馴染みの人形遊びと子供向けの映画しか知らなかった私ですが、東京からやって来たという彼女の家には田舎にしては珍しく変わった漫画やビデオがたくさん置いてあって、うちにある見飽きたビデオよりも面白い物がたくさんありました。彼女の家には当時日本で流行っていた香港のキョンシー( 殭屍 )映画のビデオがたくさんあって、毎日一本ずつ、学校が終わるとランドセルだけ家に置いてその子の家に通ってたくさんビデオ鑑賞をしていました。(80年代後半) 日本でキョンシー映画の流行が終わって少しすると、また香港からゴールデン・ハーベスト(嘉禾電影有限公司...

芸術家の娘003

こんばんは、saraです。 最初の投稿で私は日本の田舎で育ったと書きました。 もちろん、地域によって習慣や行われている行事など全く違うものだと思いますが、あくまでもその一例として今回は私の実家のある地域の農村社会について書きたいと思います。 私が三歳から育った田舎には、歴史の教科書の中でだけ使われているような古い日本語の単語を今でも日常的に使っている人がたくさんいます。例えば「年貢米」や「寄合」と言った言葉です。 この「寄合」は私たちの地域ではどの田畑にどういう順番で水を配分するか、というようなことを決める会合のようなものです。他にもお祭りなどの行事をいつ行うかなども議論されます。 また、私の田舎では今でも藁でできた蓑などを愛用している農家の方を多く見受けます。葛飾北斎の浮世絵に出てくるような風景が今でもそのまま残っているような場所です。宮崎駿の「となりのトトロ」に出てくるような田舎の風景を想像してもらってもいいと思います。 私の実家には毎年ご近所の方からの「年貢」が届きます。ある日朝起きると玄関の前に野菜が置いてあったり、家までお米を持ってくる人がいたりするのです。 これは、私の実家が昔地主だった頃の名残で持ってきてくれているようですが、どれぐらい前からその習慣があるのかは不明です。ただ、元々私の先祖に当たる人が持っていた土地を農地改革や話し合いで過去に譲渡された人たちが、慣習的に行なっているようです。 私の実家から一番近い友達の家まではちょうど約1キロあります。3歳の頃に初めて彼女の家まで「歩いて行ってみなさい」とおばあちゃんに言われて一人で行った時には、山を一つ越えてその先に行くぐらい遠い場所だと思いながら歩いたのを今でも覚えています。 そんな地元の友達の家にも今はインターネットが通っていて、海外からの留学生のホームステイ受け入れなどをやっているらしいです。 私がスペインに行くと地元の友達に話した時には「あんなド田舎から外国にお嫁さんに行く人がいるなんてびっくりやな~」と言われました。 田舎には都会の便利さなどはないけれど、その代わりに昔からの強いコミュニティーがあります。 町の中のどの家にも大抵屋号や通称名のようなものがあって、例えば昔水車があった家には「みずぐるま」という名...

芸術家の娘002

こんにちは、saraです。 私にとって中国人との初めての出会いは母親が私を妊娠している時にまで遡ります。 それはどうしてか?今からお話させていただきます。 80年代のスペインのバレンシアという街にはまだ東洋人がほとんどいなかったそうです。 (ちなみに2012年現在の移民局はアフリカからの移民が大量にいて、続いてアラブ系や数名の中国人、パキスタン・インド人などの東洋人たちという順に多い気がします。) 両親のスペインでの友人のうち、数名は移民局で順番待ちをしている時に話しかけられたという人たちです。順番待ちと言っても当時は毎日早朝から並んで、やっと数日後に中に入れるというぐらい待たなきゃいけなかったみたいです。 当時私を妊娠していた母親が移民局で順番を待っていると、片言のスペイン語で中国人の人が話しかけてきました。 「君たち子供ができるのか?ご飯の心配はないか?うちでちょっと仕事を手伝わないか?」 というような事を言われたそうです。もちろん私の両親も片言のスペイン語しかできないので、お互いの会話は「これ作る!」「分かった!」「これできる?」「できる!」みたいな会話だったと母は振り返ります。 自分の両親のような芸術家という職業は展覧会やアート系のイベントが立て続けにある時は忙しくなって、経済的にも一気に余裕が出来る訳ですが、逆に数年間仕事がないというようなこともザラにあります。 きっと当時もどちらかというと展覧会に恵まれない時期だったのかもしれません。もしくは妊娠中で思うように仕事ができていなかったとも考えられます。 移民局で両親に話しかけてきたという中国人はバレンシアで初めて中華料理店を開いた人でした。家族を中国に置いて一人で出稼ぎでやってきた人で、「レストランの入り口に龍の絵を描いてもらいたい」と言われて父親は龍の絵を描いて、妊娠中の母親はデザート作りの手伝いをしていたそうです。母は今でも時々杏仁豆腐を作るけれど、もしかしたらその頃に習ったものなのかもしれないです。 両親がレストランで手伝いをしていた頃は店の人たちと一緒に所謂まかないの昼ご飯や夕食を共に食べていたと言っていました。母親のお腹はすぐに大きくなって、レストランでのお手伝いもごく短期間だけで終わってしまったと言っていたけれど、私の...

芸術家の娘001

こんばんは。saraです。 タイトルの通り、私は芸術家夫婦の間に産まれました。 80年代にスペインで生まれ、三歳からは日本の福井という田舎で育ちました。 日本の「三つ子の魂百まで」という諺にもあるように、三歳までの幼少期をスペインで過ごしたことは私の人生にとって大きな影響を与えたように思います。 三歳の頃、初めて日本の空港に着いた時、私の親戚のおばさんたちに会った私は「ママ、外人がいっぱいいる。怖いよ。」というような事をスペイン語で話したそうです。 初めて会った親戚の人はもちろん普通の日本人なので、初対面と言っても誰もハグやキスもしないです。ただ、 「あら、サラちゃん?かわいいわね~よく来たわね。」と言うだけです。 それに対して私は「ママ、みんな私の事を誰も愛してくれないの?どうして誰もキスしてくれないの?」とスペイン語で言って泣き始めてしまったそうです。 恋愛関係も同様で、日本人の曖昧な表現や態度は例え若干の「好意」があると感じても、それだけでは何の「愛の証拠」にもならないじゃないかというのが自分の考えでした。 今まで、日本人と恋愛関係になったことは一度もなく、日本人の「愛の示し方」は私には今でも全く理解できません。 さてさて日本で長い間過ごした後、再びスペインに戻って来ました。 スペイン人の男性の日本人の妻として。 私はスペイン人から見るとまだまだパッションが足りないらしく、冷たい、よそよそしいと思われている気がします。 とにかく、態度やキスやハグで何度も「愛してる」と、友達同士でも家族の中でも常に確認していたい人たちのようです。 でも、一つだけはっきりと感じていること それはやっぱり、気持ちを示さない曖昧な関係よりは、ちゃんと相手に感謝や愛情を示せるような関係の方が健全だと私は思います。