こんにちは、saraです。
今回は日本の学歴社会と自分の経験とを織り交ぜて話をしたいと思います。
高校に行かずに大学に行く。と聞くと普通の人はどう感じるでしょうか?
私は高校に通わずに大学に進学しました。
でも、こういった変わった経歴の人間は日本ではまだまだ珍しい部類に入ります。
地元福井では短大卒という女友達が最も多く、田舎には「女が四大なんて。」という人も少なくありません。福井の女性は昔から京都などで「お手伝いさんや女中さんは福井出身の人が真面目でよく働く」と言われてきたそうで、若い頃から働いてたくさんお金を貯める方が少し賢いだけの怠け者より「大したもん」と言われるような社会です。
時代は違いますが私のおばあちゃんについて言えば、若い頃に大阪に出て地元に戻って初めて自分の美容室を持ったのが21歳というから驚きです。こういう独立心と起業心旺盛なところも福井女性らしさと言えそうです。
さて、日本は学歴社会だ!と言われているけれど、本当にそうなのでしょうか?
大学まで終えて自分が感じている印象は日本の教育制度や「学歴社会」と呼ばれているものは電車でいうところの「快速電車」のようなものだと思います。決して新幹線や急行電車のような制度ではないと思います。
ということで、一度何らかの理由で途中下車してしまってもまた急行や新幹線に乗り換えて快速に追いついたり、各駅停車に乗り換えてのんびり進むということも不可能ではないと思います。
とは言え、経歴書に謎の空白や人と違う別の履歴があるというのは明らかに「風変わり」と思われることには間違いないです。笑
さて、私はどのようにして中卒から大卒になったのか、少し説明してみたいと思います。
1、中学時代に病気になって入院生活を送る。
2、出席日数ギリギリで中学を卒業。入院中につき、高校受験を断念。
3、高校二年に当たる年齢で大検(大学入学資格検定、現在は高認と呼ばれる高等学校卒業程度認定試験という名称で8科目になったそう。)を受験。周りは高校を退学になったと思われるアフロ頭やバイク野郎など全員不良にしか見えないような出で立ちの人ばかりで、隣の席には明らかに麻薬中毒者と見て分かるような注射跡だらけのお姉さんが座ってくるという状況の中、12科目という途方に暮れるような量の試験を受けて、合格する。
4、大学一年に当たる年齢で大学の通信教育部に入学。パートをしながら貯金を始める。
5、大学三年に当たる年齢で予備校などを調べ始め、中国語と英語の科目を強化するため半年間予備校に通う。この際の学費に自分の貯金を全額投入。通信で通っていた大学の編入学試験を受けて一般学部生となり、その後卒業する。
通信教育に入る際の入学審査は本の感想文を書くというようなもので、特に難しい関門はありません。また、通信から編入試験を受けて合格して一般学部生となるケースはごく稀であって、私の周りでも受験する人は何人かいたけれど合格した人は知り合いの中にはいませんでした。自分は朝から夕方までパートとして働いた後に夕方から予備校に通って夜中まで勉強するという日々でかなり過酷だったとは言え、期間で言えばたった半年間。決して無理な話ではないです。
(これから大学の編入学試験を受けたいと考えている人がもしいれば、編入学試験対策の授業がある予備校もあり、編入学制度を導入している大学もいくつかあるので調べてから受験することをおすすめします。大学に過去問などを請求すれば手に入るので、対策もできなくはないです。ただし、中国語など英語以外の外国語に関しては家庭教師や専門のマンツーマンレッスンをおすすめします。高くても効果は数倍あると考えていいと思います。)
私は特殊な例として、一般的にアーティストの子供たちは案外保守的に育って真面目な経歴を持つ人が多く、職業的にも地味なサラリーマンやお固い職業を選択する人が多いです。親の職業に対する単純な反面教師的反応というか、親の生活を見て「安定」を求める人が多いようです。
逆に資産家など一部金銭的に余裕のある家庭の人たちやインターナショナルな人間に育てたいという変わった信念を持っていらっしゃる保護者もいます。そういう人たちは自分の子供に日本の一般的な教育を受けさせることに前向きでない人も多いようで、変わった経歴の人を見受けることが多い気がします。
知り合いには中学や高校からインドやペルー、イギリス、イタリアなどで教育を受けた人など家庭や環境により人それぞれですが、各人若い頃からいろんな国に送られて現地で教育を受けたという資産家のご子息や特殊や育ち方をされたという人たちに出会ったことがあります。
彼らの中には
「サラちゃんも日本で高校に行かなかったのはいい選択だった。日本では10代に個性を育ませるどころかただひたすらつまらない暗記をさせて、子供の夢や可能性を削いでいるだけで何の意味もない。」
と断言するような人もいました。資産家の息子として育った彼はアートキュレーターという職業で、日本の社会の中で生活していても普通の大人のような後ろ向きな姿勢は全くなく、いつもエネルギッシュで前向きでいい意味で日本人らしくない印象のある人でした。
また、大学卒業後にボランティアの旅に出たり、世界一周旅行に出たり、アフリカで子供を助けたいと言い始める友人もいます。ずっとレールの上に乗っているだけで自分で人生をどう進むかを選択したことのない人が、レールから降りて別の道に進もうとするというパターンです。
このパターンを進む人も地元のお嬢様だった友達など、苦悩や金銭的苦労のなかった人の方が挑戦してみたいと言う傾向が強い気がします。
私の感想では、「快速電車」に乗って何の挫折もなくスムーズに大学や大学院まで卒業するというのが日本では一番楽な選択なんだろうと思います。精神的、肉体的負担が少ない、という意味では。
高校に行かないことで明らかに苦労は多くなるけれど、高校を選択しなかったことで私が失ったことと言えば「初恋の甘酸っぱい思い出」とか、「世界史の年号を言い合うような会話に参加できない」とか、それぐらいじゃないかと思います。後は「センター試験で何点だったか」など。そんなこと、大人になってしまえばどうでもいいことで、私の場合むしろ高校時代に甘酸っぱい恋愛をしなくてよかったとホッとするぐらいです。笑
高校に行かなかったと言うと、「え?不良だったの?」と誤解されることも多かったですが、世の中には大検を受けて大学を出たというだけで「苦労されたんですね〜」と優しい声をかけてくれる人も少なからず存在します。
『捨てる神あれば拾う神あり』という言葉通り、大学に合格してからは多くの人に助けられて卒業することができました。芸術家として不定期収入しかない「学歴ってそんなに大事?」と言う親にはどうしても学費を頼みにくく、どうしようかと悩んでいた時に以前パートとして働いていた本屋さん時代の上司から「お金は無期限で貸すからとりあえず大学には通いなさい」と言ってもらえたり、返済しなきゃいけない奨学金を申請したら「話を伺ったところ大変苦労されてもなお勉学に取り組みたいと思われているようなので、今回は特別に返済は必要ないです。」と言われたり。本当、不思議な縁ってあるものです。
上に書いたパート時代の元上司は私に「サラちゃん、あんたはこんなところでこんなことしてる場合じゃないだろう。」と叱ってくれた私の恩人です。当時パートしていた場所には女性が30人近く働いていて、その人たちの多くは本来なら家で奥様していればいいだけの余裕のある人たちがほとんどでした。元ロックンローラーや元舞台女優、元登山家、元スチュワーデス、元109の店員、元キャバクラ嬢などなど、彼女たちの経歴も様々。当然、個性が強すぎてぶつかるようなこともあったし、実際、最初働き始めた頃は毎日家に帰って泣いてしまうぐらい人間関係に悩んでいた時期もありました。当時の時給は910円で、お店を良くしようと努力しても「自分に与えられた仕事以上のことはするな!」と店長に怒鳴られる日々。今思い出すともう笑い話でしかないけれど、当時はその女上司と飲みに行って「私は910円の価値しかない女なんかじゃないんだ!」と半泣きで意味不明なことを訴えていました。今となってはそんな時代も懐かしく思います。店長に怒鳴られた一ヶ月後には店の売り上げが急に20%上がったそうで、店長から「これからは自分が思うように好きなようにしたらいい」とヘラヘラされて何とも不思議な体験でした。なぜか職場の濃いキャラの面々ともそのうち打ち解けて、彼女たちの過去の武勇伝を聞くのが楽しみになるぐらい面白い職場になっていました。
私は毎日パートから帰ると小説を書くという日々で、それも出版社の人からは「こういう難解な玄人向けのものでなくて、もっと大衆向けに売れるような分かりやすい小説にして欲しい」と言われて、その言葉に苦悩して完全にスランプ状態に陥っていました。小説だって芸術だと考える私には改編は難しい話で、きっと言葉の表現力にもある程度コツがあって、文学というものをちゃんとどこかで勉強すればまだ少しは他人の読めるような作品が書けるようになるかもしれないとは思うものの、実際、作家で生きていけるような希望は当時何もなくただ呆然と諦めているような状況でした。
元上司の彼女は私にちゃんと大学を卒業して本来の自分の可能性ときちんと向き合うべきだと、当時自分自身も諦めていたようなことを何度も「間接的に」刺激してくれた人です。「自分も不器用だからサラちゃんを見ているとよく分かるんだよ。」というような具合で、決して「何が何でも大学を出ろ」というような直接的な言い方はしていませんでした。結局、大学入学時に彼女から「無期限で貸す」と言われたお金は断って、そこそこ資産のあるうちのおばあちゃんに幾分お金を援助してもらって大学に通いましたが、それでも元上司がそう言ってくれた気持ちが嬉しくて当時泣いてしまうぐらいだったのを今でも覚えています。
私は苦労して学歴を手に入れた訳ですが、私自身は学歴で人を見るという考え方はありません。自分がずっと中卒で大検合格者というだけという状態で苦労したからということもあるけれど、その時期に知り合った人の中には私のような病気以外にも親の病気や家族の倒産や破産など、本当に大学進学や高校進学を断念しなきゃいけなかったというどうしようもない理由も世の中には存在するのだと分かったからで、別にそういった人たちが特別というわけでもなく、世の中には結構な数いるんじゃないかと思うからです。
そして、一度断念しておじさんになってしまってもやり直そうと思えばそこにはまだ可能性がある、というのも事実です。60歳になってから通信教育という人もたくさん見てきました。「若い時に子供ができちゃって、大学は諦めた」というおばあさんや、「大学院まで行きたかったけれど思ったより早く仕事が決まっちゃって、今まで時間がなかった」というおじいさんなど、理由は様々。
可能性は自分で諦めた時に無くなるもので、元々存在しない訳ではない。と私は思います。勉強であれ何であれ、やりたいという強い動機が大切なんだと思います。
今回は日本の学歴社会と自分の経験とを織り交ぜて話をしたいと思います。
高校に行かずに大学に行く。と聞くと普通の人はどう感じるでしょうか?
私は高校に通わずに大学に進学しました。
でも、こういった変わった経歴の人間は日本ではまだまだ珍しい部類に入ります。
地元福井では短大卒という女友達が最も多く、田舎には「女が四大なんて。」という人も少なくありません。福井の女性は昔から京都などで「お手伝いさんや女中さんは福井出身の人が真面目でよく働く」と言われてきたそうで、若い頃から働いてたくさんお金を貯める方が少し賢いだけの怠け者より「大したもん」と言われるような社会です。
時代は違いますが私のおばあちゃんについて言えば、若い頃に大阪に出て地元に戻って初めて自分の美容室を持ったのが21歳というから驚きです。こういう独立心と起業心旺盛なところも福井女性らしさと言えそうです。
さて、日本は学歴社会だ!と言われているけれど、本当にそうなのでしょうか?
大学まで終えて自分が感じている印象は日本の教育制度や「学歴社会」と呼ばれているものは電車でいうところの「快速電車」のようなものだと思います。決して新幹線や急行電車のような制度ではないと思います。
ということで、一度何らかの理由で途中下車してしまってもまた急行や新幹線に乗り換えて快速に追いついたり、各駅停車に乗り換えてのんびり進むということも不可能ではないと思います。
とは言え、経歴書に謎の空白や人と違う別の履歴があるというのは明らかに「風変わり」と思われることには間違いないです。笑
さて、私はどのようにして中卒から大卒になったのか、少し説明してみたいと思います。
1、中学時代に病気になって入院生活を送る。
2、出席日数ギリギリで中学を卒業。入院中につき、高校受験を断念。
3、高校二年に当たる年齢で大検(大学入学資格検定、現在は高認と呼ばれる高等学校卒業程度認定試験という名称で8科目になったそう。)を受験。周りは高校を退学になったと思われるアフロ頭やバイク野郎など全員不良にしか見えないような出で立ちの人ばかりで、隣の席には明らかに麻薬中毒者と見て分かるような注射跡だらけのお姉さんが座ってくるという状況の中、12科目という途方に暮れるような量の試験を受けて、合格する。
4、大学一年に当たる年齢で大学の通信教育部に入学。パートをしながら貯金を始める。
5、大学三年に当たる年齢で予備校などを調べ始め、中国語と英語の科目を強化するため半年間予備校に通う。この際の学費に自分の貯金を全額投入。通信で通っていた大学の編入学試験を受けて一般学部生となり、その後卒業する。
通信教育に入る際の入学審査は本の感想文を書くというようなもので、特に難しい関門はありません。また、通信から編入試験を受けて合格して一般学部生となるケースはごく稀であって、私の周りでも受験する人は何人かいたけれど合格した人は知り合いの中にはいませんでした。自分は朝から夕方までパートとして働いた後に夕方から予備校に通って夜中まで勉強するという日々でかなり過酷だったとは言え、期間で言えばたった半年間。決して無理な話ではないです。
(これから大学の編入学試験を受けたいと考えている人がもしいれば、編入学試験対策の授業がある予備校もあり、編入学制度を導入している大学もいくつかあるので調べてから受験することをおすすめします。大学に過去問などを請求すれば手に入るので、対策もできなくはないです。ただし、中国語など英語以外の外国語に関しては家庭教師や専門のマンツーマンレッスンをおすすめします。高くても効果は数倍あると考えていいと思います。)
私は特殊な例として、一般的にアーティストの子供たちは案外保守的に育って真面目な経歴を持つ人が多く、職業的にも地味なサラリーマンやお固い職業を選択する人が多いです。親の職業に対する単純な反面教師的反応というか、親の生活を見て「安定」を求める人が多いようです。
逆に資産家など一部金銭的に余裕のある家庭の人たちやインターナショナルな人間に育てたいという変わった信念を持っていらっしゃる保護者もいます。そういう人たちは自分の子供に日本の一般的な教育を受けさせることに前向きでない人も多いようで、変わった経歴の人を見受けることが多い気がします。
知り合いには中学や高校からインドやペルー、イギリス、イタリアなどで教育を受けた人など家庭や環境により人それぞれですが、各人若い頃からいろんな国に送られて現地で教育を受けたという資産家のご子息や特殊や育ち方をされたという人たちに出会ったことがあります。
彼らの中には
「サラちゃんも日本で高校に行かなかったのはいい選択だった。日本では10代に個性を育ませるどころかただひたすらつまらない暗記をさせて、子供の夢や可能性を削いでいるだけで何の意味もない。」
と断言するような人もいました。資産家の息子として育った彼はアートキュレーターという職業で、日本の社会の中で生活していても普通の大人のような後ろ向きな姿勢は全くなく、いつもエネルギッシュで前向きでいい意味で日本人らしくない印象のある人でした。
また、大学卒業後にボランティアの旅に出たり、世界一周旅行に出たり、アフリカで子供を助けたいと言い始める友人もいます。ずっとレールの上に乗っているだけで自分で人生をどう進むかを選択したことのない人が、レールから降りて別の道に進もうとするというパターンです。
このパターンを進む人も地元のお嬢様だった友達など、苦悩や金銭的苦労のなかった人の方が挑戦してみたいと言う傾向が強い気がします。
私の感想では、「快速電車」に乗って何の挫折もなくスムーズに大学や大学院まで卒業するというのが日本では一番楽な選択なんだろうと思います。精神的、肉体的負担が少ない、という意味では。
高校に行かないことで明らかに苦労は多くなるけれど、高校を選択しなかったことで私が失ったことと言えば「初恋の甘酸っぱい思い出」とか、「世界史の年号を言い合うような会話に参加できない」とか、それぐらいじゃないかと思います。後は「センター試験で何点だったか」など。そんなこと、大人になってしまえばどうでもいいことで、私の場合むしろ高校時代に甘酸っぱい恋愛をしなくてよかったとホッとするぐらいです。笑
高校に行かなかったと言うと、「え?不良だったの?」と誤解されることも多かったですが、世の中には大検を受けて大学を出たというだけで「苦労されたんですね〜」と優しい声をかけてくれる人も少なからず存在します。
『捨てる神あれば拾う神あり』という言葉通り、大学に合格してからは多くの人に助けられて卒業することができました。芸術家として不定期収入しかない「学歴ってそんなに大事?」と言う親にはどうしても学費を頼みにくく、どうしようかと悩んでいた時に以前パートとして働いていた本屋さん時代の上司から「お金は無期限で貸すからとりあえず大学には通いなさい」と言ってもらえたり、返済しなきゃいけない奨学金を申請したら「話を伺ったところ大変苦労されてもなお勉学に取り組みたいと思われているようなので、今回は特別に返済は必要ないです。」と言われたり。本当、不思議な縁ってあるものです。
上に書いたパート時代の元上司は私に「サラちゃん、あんたはこんなところでこんなことしてる場合じゃないだろう。」と叱ってくれた私の恩人です。当時パートしていた場所には女性が30人近く働いていて、その人たちの多くは本来なら家で奥様していればいいだけの余裕のある人たちがほとんどでした。元ロックンローラーや元舞台女優、元登山家、元スチュワーデス、元109の店員、元キャバクラ嬢などなど、彼女たちの経歴も様々。当然、個性が強すぎてぶつかるようなこともあったし、実際、最初働き始めた頃は毎日家に帰って泣いてしまうぐらい人間関係に悩んでいた時期もありました。当時の時給は910円で、お店を良くしようと努力しても「自分に与えられた仕事以上のことはするな!」と店長に怒鳴られる日々。今思い出すともう笑い話でしかないけれど、当時はその女上司と飲みに行って「私は910円の価値しかない女なんかじゃないんだ!」と半泣きで意味不明なことを訴えていました。今となってはそんな時代も懐かしく思います。店長に怒鳴られた一ヶ月後には店の売り上げが急に20%上がったそうで、店長から「これからは自分が思うように好きなようにしたらいい」とヘラヘラされて何とも不思議な体験でした。なぜか職場の濃いキャラの面々ともそのうち打ち解けて、彼女たちの過去の武勇伝を聞くのが楽しみになるぐらい面白い職場になっていました。
私は毎日パートから帰ると小説を書くという日々で、それも出版社の人からは「こういう難解な玄人向けのものでなくて、もっと大衆向けに売れるような分かりやすい小説にして欲しい」と言われて、その言葉に苦悩して完全にスランプ状態に陥っていました。小説だって芸術だと考える私には改編は難しい話で、きっと言葉の表現力にもある程度コツがあって、文学というものをちゃんとどこかで勉強すればまだ少しは他人の読めるような作品が書けるようになるかもしれないとは思うものの、実際、作家で生きていけるような希望は当時何もなくただ呆然と諦めているような状況でした。
元上司の彼女は私にちゃんと大学を卒業して本来の自分の可能性ときちんと向き合うべきだと、当時自分自身も諦めていたようなことを何度も「間接的に」刺激してくれた人です。「自分も不器用だからサラちゃんを見ているとよく分かるんだよ。」というような具合で、決して「何が何でも大学を出ろ」というような直接的な言い方はしていませんでした。結局、大学入学時に彼女から「無期限で貸す」と言われたお金は断って、そこそこ資産のあるうちのおばあちゃんに幾分お金を援助してもらって大学に通いましたが、それでも元上司がそう言ってくれた気持ちが嬉しくて当時泣いてしまうぐらいだったのを今でも覚えています。
私は苦労して学歴を手に入れた訳ですが、私自身は学歴で人を見るという考え方はありません。自分がずっと中卒で大検合格者というだけという状態で苦労したからということもあるけれど、その時期に知り合った人の中には私のような病気以外にも親の病気や家族の倒産や破産など、本当に大学進学や高校進学を断念しなきゃいけなかったというどうしようもない理由も世の中には存在するのだと分かったからで、別にそういった人たちが特別というわけでもなく、世の中には結構な数いるんじゃないかと思うからです。
そして、一度断念しておじさんになってしまってもやり直そうと思えばそこにはまだ可能性がある、というのも事実です。60歳になってから通信教育という人もたくさん見てきました。「若い時に子供ができちゃって、大学は諦めた」というおばあさんや、「大学院まで行きたかったけれど思ったより早く仕事が決まっちゃって、今まで時間がなかった」というおじいさんなど、理由は様々。
可能性は自分で諦めた時に無くなるもので、元々存在しない訳ではない。と私は思います。勉強であれ何であれ、やりたいという強い動機が大切なんだと思います。
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