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芸術家の娘004

こんにちは、saraです。 今回は私が中国文化や中国語に興味を持ったきっかけを思い出してみたいと思います。 タイトルにもあるように両親が芸術家(父は画家で母は彫刻家)なので、親の仕事の量や忙しさにはバラつきがあります。私が小さい頃は母の彫刻の仕事が忙しくて、作品の納期が近くなってくると両親二人共夜中になっても帰ってこないというのが普通の日々でした。 母の作品の多くは鉄やブロンズ、アルミニウム、石などの素材を使うので、溶接や仕上げの作業が遅れたり、納期に間に合わないとなると職人に任せるだけでなく両親たちもグラインダーやヤスリを使って研磨の作業をしていました。 ということで、幼い私は日本に戻ってすぐの三歳からお留守番生活が始まりました。 親も遅くまで帰れないのを気にして、私にお留守番の時に見るビデオというのを用意してくれたりしました。 私は音楽が大好きだったので、マイケル・ジャクソンの映画「ムーン・ウォーカー」や、ビートルズのシュールな映画「イエローサブマリン」、子供向けのクレイアニメなどなど。中にはツイ・ハーク(徐克)監督が製作した幽霊の出てくる映画などもありました。 ちなみに我が家では漫画、ドラマ、雑誌などは「想像力が乏しくなる」という理由で全面禁止で、なぜか映画は見ていいと言われて育ちました。 当時はほぼ毎日のように親の帰りが遅かったので、私はただひたすらこれら数本のビデオを繰り返し見ていました。でも大抵の場合、映画一本を全部見終わるよりも先に自分が寝てしまっていました。 私が小学校になった頃に1キロ離れた友達の家よりも更に近い、子供でも歩いて3分ぐらいの場所に同じ年の転校生がやって来ます。それまではジェニーちゃんやリカちゃんでお馴染みの人形遊びと子供向けの映画しか知らなかった私ですが、東京からやって来たという彼女の家には田舎にしては珍しく変わった漫画やビデオがたくさん置いてあって、うちにある見飽きたビデオよりも面白い物がたくさんありました。彼女の家には当時日本で流行っていた香港のキョンシー( 殭屍 )映画のビデオがたくさんあって、毎日一本ずつ、学校が終わるとランドセルだけ家に置いてその子の家に通ってたくさんビデオ鑑賞をしていました。(80年代後半) 日本でキョンシー映画の流行が終わって少しすると、また香港からゴールデン・ハーベスト(嘉禾電影有限公司...