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芸術家の娘002

こんにちは、saraです。

私にとって中国人との初めての出会いは母親が私を妊娠している時にまで遡ります。
それはどうしてか?今からお話させていただきます。

80年代のスペインのバレンシアという街にはまだ東洋人がほとんどいなかったそうです。
(ちなみに2012年現在の移民局はアフリカからの移民が大量にいて、続いてアラブ系や数名の中国人、パキスタン・インド人などの東洋人たちという順に多い気がします。)

両親のスペインでの友人のうち、数名は移民局で順番待ちをしている時に話しかけられたという人たちです。順番待ちと言っても当時は毎日早朝から並んで、やっと数日後に中に入れるというぐらい待たなきゃいけなかったみたいです。

当時私を妊娠していた母親が移民局で順番を待っていると、片言のスペイン語で中国人の人が話しかけてきました。
「君たち子供ができるのか?ご飯の心配はないか?うちでちょっと仕事を手伝わないか?」
というような事を言われたそうです。もちろん私の両親も片言のスペイン語しかできないので、お互いの会話は「これ作る!」「分かった!」「これできる?」「できる!」みたいな会話だったと母は振り返ります。

自分の両親のような芸術家という職業は展覧会やアート系のイベントが立て続けにある時は忙しくなって、経済的にも一気に余裕が出来る訳ですが、逆に数年間仕事がないというようなこともザラにあります。
きっと当時もどちらかというと展覧会に恵まれない時期だったのかもしれません。もしくは妊娠中で思うように仕事ができていなかったとも考えられます。

移民局で両親に話しかけてきたという中国人はバレンシアで初めて中華料理店を開いた人でした。家族を中国に置いて一人で出稼ぎでやってきた人で、「レストランの入り口に龍の絵を描いてもらいたい」と言われて父親は龍の絵を描いて、妊娠中の母親はデザート作りの手伝いをしていたそうです。母は今でも時々杏仁豆腐を作るけれど、もしかしたらその頃に習ったものなのかもしれないです。

両親がレストランで手伝いをしていた頃は店の人たちと一緒に所謂まかないの昼ご飯や夕食を共に食べていたと言っていました。母親のお腹はすぐに大きくなって、レストランでのお手伝いもごく短期間だけで終わってしまったと言っていたけれど、私の母の手料理というと今でも和食よりも断然スペイン料理と中華料理が多いのはこの当時の経験があるからだと思います。

私が生まれて数年後、母が弟を妊娠したことで私の家族は日本へ帰国することに決めました。私たち一家が空港に行く電車を駅で待っていると、あの中国人のおじさんにバッタリと再会します。
「今日、初めて中国から奥さんと子供たちがやって来るんだ。」
と言う話を聞いて、私の両親は「世の中にはこんな偶然もあるんだね。」と話していたそうです。

今でも両親は「彼にはあの一時期だけだったけれど、本当によくしてもらった。」と時々レストランの主人の話をします。日本人同士だったら例え妊娠している人と知り合いになったからと言って、よほど親しい仲でない限りそんな人助けをするような人はほとんどいないように思います。

バレンシアで初めての中華料理店。名前は長城飯店というベタな名前のレストランですが今でもバレンシアで立派に実在しています。当時の店舗よりも立地もお店自体も随分よくなって、今の経営者はすでに彼の子供たちの代になっているそうです。

現在、バレンシアには二百軒以上の中華料理店が存在していると聞きます。たった一軒のレストランから始まって二、三十年後にはここまで中国人の多い街になると誰が予想したでしょうか。
今のバレンシアの駅前の一角は中華食材店と中華料理店が犇く地区になっていて、中国人経営の美容室やネットカフェのような場所も見かけます。
それもこれも、あの、一人の中国人が店を開いたことから始まったのかと思うと感慨深いものがあります。


写真は数年前に桂林に旅行した時のものです。

コメント

Mike さんの投稿…
ドラマみたいな人生。あの中国人のおじさんとの出合いはきっと運命だね。
僕もバレンシアに行って、あの長城飯店を見てみたい!
sara さんの投稿…
ここにいると私のような日本人も韓国人も全員「中国人」とスペイン人からは呼ばれるんだけど、たまに香港人や韓国人と話すとその「アジア的な感覚」に自分自身ホッとする時もあるよ。インド人も「日本人か?韓国人か?」と聞いてくれるからちょっとだけホッとするかもしれない。笑
だからもしかしたら「同じヨーロッパに住む東洋人だから」とそのご主人も笑って助けてくれたんじゃないかな?とちょっと思う。
ちなみに私の父はそのご主人に再会していて、今は息子や家族たちと長城飯店という名前やそれ以外の名前で何店舗も自分の店を持っているという話を聞いてきたらしいよ。
Mike さんの投稿…
小説を書いてもいいぐらいな話ね
sara さんの投稿…
小説(というか中国でいうところの散文?)は趣味で書いてるけど、こういうテーマで書こうって考えてみたことがなかったわ!また次回何か書く時にはこういう話も織り交ぜてみようかな?

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