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芸術家の娘003


こんばんは、saraです。

最初の投稿で私は日本の田舎で育ったと書きました。
もちろん、地域によって習慣や行われている行事など全く違うものだと思いますが、あくまでもその一例として今回は私の実家のある地域の農村社会について書きたいと思います。

私が三歳から育った田舎には、歴史の教科書の中でだけ使われているような古い日本語の単語を今でも日常的に使っている人がたくさんいます。例えば「年貢米」や「寄合」と言った言葉です。
この「寄合」は私たちの地域ではどの田畑にどういう順番で水を配分するか、というようなことを決める会合のようなものです。他にもお祭りなどの行事をいつ行うかなども議論されます。

また、私の田舎では今でも藁でできた蓑などを愛用している農家の方を多く見受けます。葛飾北斎の浮世絵に出てくるような風景が今でもそのまま残っているような場所です。宮崎駿の「となりのトトロ」に出てくるような田舎の風景を想像してもらってもいいと思います。

私の実家には毎年ご近所の方からの「年貢」が届きます。ある日朝起きると玄関の前に野菜が置いてあったり、家までお米を持ってくる人がいたりするのです。
これは、私の実家が昔地主だった頃の名残で持ってきてくれているようですが、どれぐらい前からその習慣があるのかは不明です。ただ、元々私の先祖に当たる人が持っていた土地を農地改革や話し合いで過去に譲渡された人たちが、慣習的に行なっているようです。

私の実家から一番近い友達の家まではちょうど約1キロあります。3歳の頃に初めて彼女の家まで「歩いて行ってみなさい」とおばあちゃんに言われて一人で行った時には、山を一つ越えてその先に行くぐらい遠い場所だと思いながら歩いたのを今でも覚えています。
そんな地元の友達の家にも今はインターネットが通っていて、海外からの留学生のホームステイ受け入れなどをやっているらしいです。
私がスペインに行くと地元の友達に話した時には「あんなド田舎から外国にお嫁さんに行く人がいるなんてびっくりやな~」と言われました。

田舎には都会の便利さなどはないけれど、その代わりに昔からの強いコミュニティーがあります。
町の中のどの家にも大抵屋号や通称名のようなものがあって、例えば昔水車があった家には「みずぐるま」という名前が付いています。私の実家は先祖の名前が今でも屋号として使われています。その名前を町の人に言うだけで、みんなの頭の中にインプットされている家系図や家族の歴史がすぐに出力されるという感じです。
同時に、町の誰かに何か自分の話をすると次の日には私の親に「娘さんが外国にお嫁に行くって本当か?」と連絡が入るというぐらいに情報スピードの早い町でもあります。町の規模も小さいので、「噂は千里を走る」という諺のようにアッという間に話題の人となっている訳です。

噂が早いという理由にはもう一つ別の理由もあります。私の田舎がある地域では昔、和紙の高度な技術を使って紙幣が製造されていた時代があり、その紙幣製造に関わる人たちが外にその技術が流出しないようにと近親婚が繰り返されていたという歴史的な背景があるようです。もちろん、現代ではそのような習慣は消えているわけですが、私が子供の頃には学校のクラスメイトの多くはクラスの中に親戚になる人が何人もいるというような人も少なくなかったのを記憶しています。

ここまで文章を書くと、同じ田舎の人は確実に私の本名や住所まで言い当てることができるだけの情報がすでにあると思います。それを怖い、居心地が悪いと思うか、親近感があっていい田舎だと考えるかは人それぞれだと思います。現に私の田舎の友達は大阪や東京で働いていても「子供ができたら自分の田舎に帰って育ててあげたい」と言う人が多いです。

コメント

Mike さんの投稿…
田舎っていろいろと面白いね。人の親切さ、強いコミュニティの話を聞いて「Alone Together」という言葉を思い浮かべる。皆同じ時間、同じ空間にいながらも、それぞれのことに夢中になって密なコミュニケーションがなくなっている。都市に暮らしている人がかわいそうね。

ちなみに、中国の田舎も知ってもらいたいので、もし時間があったら、是非下記の本を読んでおいてください。
Country Driving: A Journey Through China from Farm to Factory
http://www.amazon.com/Country-Driving-Journey-Through-Factory/dp/0061804096
sara さんの投稿…
本の紹介ありがとう。面白そうだね。大学で中国の農村社会についての授業も受けていたけれど、あんまり参考にならない情報ばかりだったからこの本は期待できるかも。中国語にもなってるみたいだけど、とりあえず英語で読んでみます。笑

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