丽江,曼谷偏西,和中国沿海城市有两个小时的时差。七八点钟不见日落,太阳不刺眼,直接望上去像是盖了层糖纸,透过来的阳光有些虚。天空淡蓝,没有东京的湛蓝好看。两千四百米的海拔,空气稀薄,深吸一口,氧气到肺时有那么点后劲不足。 古镇是这块土地的精华,长宽都不过一公里区域上,有着古老的纳西民宅,密如蛛网的石街小巷,清澈的溪流,连排的客栈酒吧。古城外围住着本地人,高楼林立,炸鸡排烤鱿鱼、OPPO酷派、班尼路佐丹奴,无异于国内任何一座三线小城。再往外,又变成了山间田野湖泊的辽阔美景。 清晨石板街上轻促的脚步,小楼前袅袅的青烟,水道边哗哗的浣洗声,淳朴本然的古城人见人爱。日头高举后,人山人海沿街涌动,游客主宰的古城热闹非凡。往那些幽静的巷道走,为迷途中的一次次偶然发现而惊喜。找一家晒得到太阳的客栈,让有故事的老板告诉你关于古城的八卦。或许你就认同有人说的,只要古城内清水如昔,冬日里暖意融融的阳光仍在,白云依旧笼罩着雪山,屋檐下的生活依然惬意从容,他们,就会再回到这里。 这里没有所谓的景点,游人不必忙于走马观花。慢悠悠地住上几天,放松自我体验悠然。“要么猎奇,要么发呆”是我坚持的旅行原则。见没见过的自然奇观,听不同人的故事,吃得像个当地人,满足自己的好奇心。否则就老老实实坐在长椅上放松发呆,逃离日常琐事给生活以喘息。 我不赞同有些朋友执着走遍全国各省自治区、游列欧洲十数国。这种划清单的功利性把旅行变成上班式的打卡行为。大国的州界和小国的边疆原本就是行政上的划定,征服这种人为管理规则下的疆域,却忽略了大自然赐予的奇观美景,得不偿失。 “住”在了花间堂城东处安静地段,古色古香的,种种原因还给升了套房。服务无可挑剔的,早餐非常一般。据说是花间堂的品牌名声在外,体性价不如同类客栈高,大家可以多家比较入住。 “吃”饭分别去了古城内外点评排名第一的馆子。古城里的是家纳西料理,沿街二层楼,空间略显局促,排了十分钟队,吃了米线烤鱼辣鸡,口味不差。新城的是三层独栋的饭店,吃的是野生菌锅,嫩菇鲜汤很满意。两家老板们都很会待客,点菜时主动引导,整个环节顺畅,换台率也不赖。结账时还会让你点评,殷勤而不过火。 “喝”茶去了游客较少的束河古镇,茶室里有几名云大旅游学院的学生打工。她们一般周末过来,六七块的时薪,能学学茶道,为客人沏茶自己也能品茶。五一长假游客不多,工作轻松,也不太在意工资了。 “行”车基本用
9月から仕事をはじめた。通勤にかかる時間は1日2時間。4月に免許を取得したばかりで、仕事を始めるまではほとんど運転した事もなかった。 仕事をはじめて思った事は、結婚して子供ができても自分の仕事は持っているべきと言うこと。家庭に入ったら仕事を辞めると言う人も多いし、それが向いている人もたくさんいると思う。けれど私は違ったように思う。 仕事はやりがいを与えてくれるけれど、ストレスや不条理な事もたくさんある。けれど、家に一日中いて自分の子供以外ほとんど誰とも話さない生活の閉塞感は例えようがない。ママ友も作ろうとしたけれど、それまで東京や海外で暮らしていた私にとっては北陸から出た事のないママたちと意見が合うわけもない。結局、国際結婚をしている友達としか気が合わず、そんな友達はみんな海外に住んでいたりして、なかなか会うこともできない。 自分の可能性を考えた時、可能性のために子供を作らないという女性もたくさんいると思う。けれど、自分自身は子供を作った事は全く後悔はしていない。世界に羽ばたいて活躍するというような仕事をしていくのは少し難しくなったかもしれないけれど、自分のリミットを作ってしまうからそこにリミットができるように思う。もちろん、子供がいる事で独身の頃のようにはできないことも数え切れないほどある。 例えば子供が夜泣きをして睡眠が充分にとれないとか、旅行に行きたくてもなかなか難しいとか。でも、それを不満として抱えるのは良くないように思う。今の子供との時間は他の体験とは全く違う次元のものだと思うし、それは今しかできない事だと思っている。 人の生き方は人それぞれと言うのに、結局みんな同じような生き方をしているように見える時がある。私は他の人と同じような生き方がしたいとは思わない。でも、同じように生きる事の安心感や安定感も子供ができてからは大切な事のように思う。 ここ数ヶ月ずっと考えていた事は自分を裏切らない、自分の持っている感情としっかり向き合う、なぜそう思うのか、なぜこうなったのか、しっかり考えて前に進む。人と違う事で起きる不安は今に始まった事でないけれど、また新たに自分の道を切り開いて行くのは容易い事ではない。自分の人生に責任を持つ事、人生は一度きりなんだし、自分の人生をちゃんと自分のものにできているかを考えて進んでいくこ