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丽江游记(2016)

丽江,曼谷偏西,和中国沿海城市有两个小时的时差。七八点钟不见日落,太阳不刺眼,直接望上去像是盖了层糖纸,透过来的阳光有些虚。天空淡蓝,没有东京的湛蓝好看。两千四百米的海拔,空气稀薄,深吸一口,氧气到肺时有那么点后劲不足。 古镇是这块土地的精华,长宽都不过一公里区域上,有着古老的纳西民宅,密如蛛网的石街小巷,清澈的溪流,连排的客栈酒吧。古城外围住着本地人,高楼林立,炸鸡排烤鱿鱼、OPPO酷派、班尼路佐丹奴,无异于国内任何一座三线小城。再往外,又变成了山间田野湖泊的辽阔美景。 清晨石板街上轻促的脚步,小楼前袅袅的青烟,水道边哗哗的浣洗声,淳朴本然的古城人见人爱。日头高举后,人山人海沿街涌动,游客主宰的古城热闹非凡。往那些幽静的巷道走,为迷途中的一次次偶然发现而惊喜。找一家晒得到太阳的客栈,让有故事的老板告诉你关于古城的八卦。或许你就认同有人说的,只要古城内清水如昔,冬日里暖意融融的阳光仍在,白云依旧笼罩着雪山,屋檐下的生活依然惬意从容,他们,就会再回到这里。 这里没有所谓的景点,游人不必忙于走马观花。慢悠悠地住上几天,放松自我体验悠然。“要么猎奇,要么发呆”是我坚持的旅行原则。见没见过的自然奇观,听不同人的故事,吃得像个当地人,满足自己的好奇心。否则就老老实实坐在长椅上放松发呆,逃离日常琐事给生活以喘息。 我不赞同有些朋友执着走遍全国各省自治区、游列欧洲十数国。这种划清单的功利性把旅行变成上班式的打卡行为。大国的州界和小国的边疆原本就是行政上的划定,征服这种人为管理规则下的疆域,却忽略了大自然赐予的奇观美景,得不偿失。 “住”在了花间堂城东处安静地段,古色古香的,种种原因还给升了套房。服务无可挑剔的,早餐非常一般。据说是花间堂的品牌名声在外,体性价不如同类客栈高,大家可以多家比较入住。 “吃”饭分别去了古城内外点评排名第一的馆子。古城里的是家纳西料理,沿街二层楼,空间略显局促,排了十分钟队,吃了米线烤鱼辣鸡,口味不差。新城的是三层独栋的饭店,吃的是野生菌锅,嫩菇鲜汤很满意。两家老板们都很会待客,点菜时主动引导,整个环节顺畅,换台率也不赖。结账时还会让你点评,殷勤而不过火。 “喝”茶去了游客较少的束河古镇,茶室里有几名云大旅游学院的学生打工。她们一般周末过来,六七块的时薪,能学学茶道,为客人沏茶自己也能品茶。五一长假游客不多,工作轻松,也不太在意工资了。 “行”车基本用...

新しい生活

  9月から仕事をはじめた。通勤にかかる時間は1日2時間。4月に免許を取得したばかりで、仕事を始めるまではほとんど運転した事もなかった。   仕事をはじめて思った事は、結婚して子供ができても自分の仕事は持っているべきと言うこと。家庭に入ったら仕事を辞めると言う人も多いし、それが向いている人もたくさんいると思う。けれど私は違ったように思う。   仕事はやりがいを与えてくれるけれど、ストレスや不条理な事もたくさんある。けれど、家に一日中いて自分の子供以外ほとんど誰とも話さない生活の閉塞感は例えようがない。ママ友も作ろうとしたけれど、それまで東京や海外で暮らしていた私にとっては北陸から出た事のないママたちと意見が合うわけもない。結局、国際結婚をしている友達としか気が合わず、そんな友達はみんな海外に住んでいたりして、なかなか会うこともできない。   自分の可能性を考えた時、可能性のために子供を作らないという女性もたくさんいると思う。けれど、自分自身は子供を作った事は全く後悔はしていない。世界に羽ばたいて活躍するというような仕事をしていくのは少し難しくなったかもしれないけれど、自分のリミットを作ってしまうからそこにリミットができるように思う。もちろん、子供がいる事で独身の頃のようにはできないことも数え切れないほどある。   例えば子供が夜泣きをして睡眠が充分にとれないとか、旅行に行きたくてもなかなか難しいとか。でも、それを不満として抱えるのは良くないように思う。今の子供との時間は他の体験とは全く違う次元のものだと思うし、それは今しかできない事だと思っている。   人の生き方は人それぞれと言うのに、結局みんな同じような生き方をしているように見える時がある。私は他の人と同じような生き方がしたいとは思わない。でも、同じように生きる事の安心感や安定感も子供ができてからは大切な事のように思う。   ここ数ヶ月ずっと考えていた事は自分を裏切らない、自分の持っている感情としっかり向き合う、なぜそう思うのか、なぜこうなったのか、しっかり考えて前に進む。人と違う事で起きる不安は今に始まった事でないけれど、また新たに自分の道を切り開いて行くのは容易い事ではない。自分の人生に責任を持つ事、人生は一度きりなんだ...

大理的生意

/一/ 大理回丽江那天要坐火车,古城叫了辆滴滴去下关火车站。现代伊兰特,白色座套,司机是位回民大哥,身板挺健壮的,两句寒暄后,话匣子就打开了。因为我连续两年都去的中东旅游,这位回教徒的出现让我倍感亲切,再加上信奉古兰经的多讲究干净,车里清洁舒适,所以他说什么,我就都随声附和。 大哥私家车做了半年多,滴滴一般用来接短途,易到主要接长途。他特别肯定易到的市场策略,每一次拉活都有种网游升级打怪的感觉,所以一公里才几毛钱的市内活儿,你用滴滴可能没人接,易到的单子却抢手,司机可以拿来练级。 一年前他还在国企上班,中国电信大理分局工作,负责信号塔铺设。坐办公室的时候,早上八点半上班十一点开始午休,睡上一觉下午两点回来工作,四五点下班。他苦笑着说,每天轻轻松松的,就是钱少一个月才两千多块。 不知是我附和得好,还是他聊到兴致不全盘托出不爽?电信的工作无聊廉价,唯一算得上收入的是他们公司的出差补助,一天有180元,外出一个月比工资还多。他说,信号塔基站的铺设工程有时候一上山就是几个月,吃住都在山上,跟着工程队还有阿姨给烧饭,这每天180元可以纯赚。 搭建个基站也就两三天,大多时候是在山上等待,等器材运过来,等调试人员到位,等天气好转……山上的娱乐也就是几个人打打牌,偶尔有工人带猎枪的,为晚饭添两个野味,云南的菌类也好调剂。总的来说,山上的生活无以聊赖,与世隔绝像是人生修炼。此时我已经跳跃到卡夫卡在四国的山间别墅,那个森林“入口”,走神到村上春树作品中的森林意象。 后来,司机大哥家里有了小孩,孩子妈没母乳,荷兰进口的奶粉近三百一盒,加上纸尿裤什么的一个月两千多支出,一下子就入不敷出了。去年决定辞去国企的工作,开始全职做私家车司机。经历的第一个春节,5天拉到了4000多块。他们回教不过春节,假日期间天天早上8点到晚上11点,过完节钱挣到了,自己也累趴下了。去了医院住五天,医药费花了一千多。他反省以后不能这么干,得悠着来,现在一天做几单,一个月五六千还是有的,他说。 /二/ 大理的街道要宽些,咖啡和私房菜散落在古城里,零零散散的,像是沉闷生活区的点缀。与丽江的小店联排夜夜笙歌不同,悠闲、安然才是引以为豪的大理情怀,丽江的商业气息在这里被嗤之以鼻,无数的大理朋友直言,“丽江?不去也罢!” 可我并不讨厌丽江模式,至少它把老城改造得...

Relieve

I think I was missing something for a long time. About what? About me, myself. I lost something inside of me and I could n 't even see what I wanted to be or what I was like... Or maybe I could say ,   so called "my goals" or "my dreams". It sounds like  a  bit childish and selfish, I know that. So I didn't know how to share this feeling  with other people... Anyway, I was so clear about my life before when I was young like 18 or so. Now, I  can barely see  what my life is about , or  what the meaning of my life is ? I couldn't answer that too.  In these   past  few months, I was suffering from many things.  And.... Today, I remembered  what my dream was  when I was young, and I felt that dream is still the same. Because I  haven’t changed , I am me. And what was that dream? It is kinda simple thing. But for me it is very important for  surviving  in this world. I was sick  sometimes ago...

先生

 先生と私が知り合ったのは、弟が病気をしてすぐの頃だった。私は小学三年ぐらい、先生は三十六歳だった。弟は原因不明の難病と言われ、田舎の病院をあちこち駆け回ったけれど、どこの医者もその原因を解明する事はできなかった。母親は泣きうなだれて失望し、盲学校や障害者施設を見学して歩いて、自分の息子の受け入れ先を探そうとしていた。  そんな折、あの奇妙な病の謎を解いてみせると申し出てくれた医者と出会った。それが、田中先生だった。先生は僕に三日ほど下さいと母に言った。三日後に母が先生に会った時、前回会った時と全く同じ格好をしていたから、きっとあの先生は寝ないで調べていたのだろうと母親は驚いていた。  弟の病気の原因は先生が調べてくれたお陰である程度特定できた。日本での実例はほとんどなく、世界中でも五例ぐらいしか報告されていない病だった。そして、確信のようなものはないけれど、とりあえずこの病気だろうという事で治療を開始するというような旨の話を親たちは聞いて帰ってきた。  入院している弟につきっきりだった母親が一週間ぶりぐらいに帰ってきた。帰ってきたと言っても、私が滞在していた祖母の家だった。祖母は心配して、畳の部屋でなくて自分のベッドで二人で寝たらどうかと提案してくれた。母と一緒のベッドで二人きりで寝るなんて、今までの人生にその一回ぐらいだったかもしれない。母親は普段弟の目の前ではいつも笑っていたのに、私の前では一晩中泣き続けていた。私に涙を見せまいと、私に背中を向けて泣き続ける母に私は何も声を掛ける事ができなかった。  ステロイドを大量に投与するその治療法によって、徐々に多幸感が出てきた弟は食欲も全開になり、いつもニコニコと笑いながら丸々と太った顔をくしゃくしゃにして笑っていた。その頃、同じ部屋の隣のベッドで入院していた男の子が亡くなった。白血病だった。その男の子の親二人は自分たちが病気の息子を目の前にしてどうする事もできなかった無力さを悔しく思っているというような話を何度も母親にしていたようだった。母親はその子供が亡くなって再び塞ぎ込んだ。私の父が母の代わりに病院に泊まると申し出ても、弟は譲らなかった。疲労感の募っている母を弟は離さなかった。父は、何でパパじゃダメなんや!と大きい声を出したけれど、それでも弟は動じなかった。  弟が死んでしまうかどう...

みーさん

 いつかあの人の事を書くときがくるのだろうといつもそう思っていた。その人は実在の人物なので実名を挙げることはできないが、まわりの皆からはみーさんと呼ばれている人だ。京都の芸術界の人間で、彼を知らない人はいないだろう。私は彼のことを早く死んでしまえばいいのにとか思うぐらい毛嫌いしているのでこの人生で二度とお目にかかりたくないと思っている。もしも、これを読んでいる人で物好きな人がいて彼に会いたいと思うならば、きっと今日も木屋町・先斗町界隈で呑んだくれているだろうから、ふらふらとそこら辺を歩いている間にバッタリと出くわしたりすることができるかもしれない。  彼はとても才能のある芸術家であると思うし、何より頭の回転が早くただモテたくて始めましたみたいな、普段は女のヒモをしていてその日暮らしの生活をしているというだけの部類の人たちとは少し一線を画しているように思う。もちろん、彼自身はヒモでないかと言われればもちろんヒモの部類に入ってくるだろう。彼には真面目な仕事に就いている奥さんがいて、みーさんに何があっても彼を支えるという献身さでみーさんもこれまで何とか死なずに生きてこれたのだろうと思う。  みーさんの特徴を語るとき、そのユーモアに溢れる会話術を抜いて彼のことを語る事はできないと思う。元々、学力も高く、大学を出てすぐは商社かどこかに勤めていたと聞いた事があったが、それを聞いても何も違和感を感じないほどの体力や知力の持ち主であると思う。彼の体型を見ても、芸術家によくあるようなヒョロヒョロとした病的さはなく、特に顔の色が悪いわけでも猫背でもなかった。黙っている瞬間というのが彼にはほとんどないのだからまずそんな場面に出くわすという事はないに等しいけれど、もしも何も話さず黙り込んでいる彼を見る機会があるとすればきっと普通の役職のあるサラリーマンに見えるのかもしれないと思う。  では、なぜにこうもみーさんが変人なのか、変人になってしまったのか。私は小さな頃よりみーさんに可愛がられて育ってきた。長年みーさんを家族のように慕っていたし、たくさんの良い思い出もある。それと言うのも私の両親も芸術家で、夏になると海を目当てに北上してくるみーさん家族と一緒に海へ行ったりするというのが我が家の定番の夏の過ごし方だったからだ。夏と言えばみーさん、というぐらいたくさんの楽しい思い出を残して...

上海油画体验课

“艺术并非高不可攀,零基础一样画得美!” 最近常见这样的宣传口号,面向零基础的小伙伴们,专业老师手把手教,三四个小时完成一幅油画。“零基础”和“手把手”这两句营销用语让人心动,圈都画不圆的我信心倍增。于是周末去探了个究竟。 朋友提前在点评上买了团购券,预约了中山公园的一处画室。说是画室,其实是附近三室一厅的小区公寓,一个前台、一名老师和满座的学生。由于价格比价公道,十几平米的房间塞满了人,其他房间也被安排地“妥妥的”,所以“手把手教”基本上是妄想,全靠自己瞎折腾。后来才明白广告说的“零基础”是指油画,素描零蛋的,人家不管。。。才一节体验课,总不能期待成梵高吧。 课程开始先选画,可以选择自己喜欢的图片或大师作品进行临摹。初学者强烈建议后者,不然仅仅是调出照片中的颜色就会让你受挫。选定对象后在画布上描出大致轮廓,然后就可以一块一块地上色了。技巧是先上背景底色,后勾轮廓和被写物的色彩。体验课大概就教授了这些,中途还有前台小姑娘帮忙挤染料调色。 选照片 学生作品展示 学生作品 就这样涂涂抹抹了一个下午。只要耐心一笔一笔地描,零基础也能有不错表现,绝对是功夫活。闲聊中得知老师是上师大美术系毕业,80后。负责日常教课,画室的推广运营另有他人打理。周末常常是爆满,平日相对清闲一些,教教素描基础班。 画室 我的作品

日本的校园暴力

日本一所普通的中学,1年B组即将迎来春假。不知天高地厚的学生们肆意吵闹,殊不知一场绵亘数月的风暴正向他们袭来。班主任森口悠子全然无视这片混乱,静静地向学生们做出最后的告白。这个单亲妈妈独自抚养着可爱的女儿在游泳池中溺水身亡。警察认定这是一起意外,森口则认定女儿死于班上两个学生之手。她不动声色地指责着犯人A和B,并宣布用自己的方式进行复仇。在此之后,森口辞去教师职务,1年B班的学生也心怀惴惴迎来了春假。新学期开始,残酷的风暴袭向了这群无知无畏的少男少女…… 这是描写日本新世代校园犯罪的推理小说《告白》中单亲丧女妈妈的复仇计划,其结局极具争议,考验日本民众的伦理观和正义感。喜欢日剧的人不难发现,以反映校园暴力为题材的影视作品在日本经久不衰,拥有广泛的观众,这也说明校园暴力问题的严重性。 校园暴力也称校园欺凌,是指行为人以校园为背景实施的暴力攻击行为。其中包括:学生间的暴力行为,师生间的暴力行为,以及校外势力对在校师生的暴力行为,对学校设施、设备的损毁。如今这个概念已经超过了校园这个范畴,而且欺凌过程蕴藏着一个复杂的互动状态,欺凌行为会使学生产生心理问题,影响学生健康,甚至影响其人格发展。 “恶意的欺凌与时代无关,是高密度封闭性人际关系中的必然产物。”--日本校园暴力研究学者内藤朝雄 在日本,16%的日本学生做过欺负别人的事,35%的人被欺负过,既欺负过别人又被别人欺负的占38%,两者都没有的仅占12%。经常受欺侮的孩子通常会情绪低落、感到孤独,由此引起学习成绩下降和失眠,继而发展成逃学,严重的甚至会导致自杀;而对欺侮者来讲,欺侮他人很容易形成相当稳定的习惯,导致以后的暴力犯罪。 2012年中小学校纪录的认知校园暴力事件就有20万件之多。令人难以置信的是,日本校园暴力之普遍,就连日本皇太子德仁的8岁女儿爱子也不能幸免。2010年初,爱子因在校遭受男同学揪头发的暴力行为,导致一度“登校拒否”,甚至一度想去英国读书。 今年6月日本内阁府公布的2015版《儿童和青少年白皮书》的长期跟踪调查显示,近六成学生曾受到“被同伴排斥、无视、背地里说坏话”等典型的欺侮。既有肉体欺凌,又有精神欺凌;既有暴力折磨,也有网络围攻。近40%的儿童受他人欺侮或欺侮他人的经历均超过6次。日本内阁府分析称,“受害者或加害者不一定是特定的同一个孩子。多数儿童同时经历过受害和加害,以交替形式出现。” 名古...

东京生活自白

我生活在东京,是一枚白领。平时一身黑色西装,一只手提公文包,从通勤地铁到写字间。我的工作是给客户提供解决方案,却发现自己所在的庞大臃肿的组织结构最应该先被解决。平日在发现问题和解决问题上兜圈,周末了在家附近遛弯。晴天就多走几丁目去围观私家大院的奇特建筑;阴天就到区民图书馆翻翻东洋经济和日经商业。雨天会窝在星巴克看闲书,或索性宅在家看美剧。 最近在读瑞典推理小说家斯蒂格·拉森千禧年三部曲的第二部《玩火的女孩》,星巴克一坐就是一下午。虽然手头只有朋友送的早川文库日译本,却丝毫不会让人感觉到是一本翻译的书,俨然一本日本侦探推理小说,除了人名地名外,一点都不国外。书看得甚是投入,走的时候发现星巴克沙发上留下一大屁股印。。。 我喜欢日本社会的井井有条。干什么都有个秩序,讲究先后顺序,买东西真不二价,服务态度也毕恭毕敬。做什么都有相应的制度,执行也透明,没太多特别待遇。在这里生活的交易成本比较低,社会公平性做得好,生活满意度也高。唯一的缺憾是有时候过于拘泥规章制度,有些教条死板,发展到极致就是墨守成规不思进取。 东京的生活是安静的,没有颜色的,很难察觉出变化。久而久之,对周遭事物的观察和感悟不灵光,原本新奇的事物也见怪不怪了。最近尝试着过把生活节奏降下来,慢慢咀嚼重新审视身边的细节。上班改成了脚踏车,周末出门也多步行。天气好的时候一走就是十多公里,一路上收获还真不小。上周两个人抽风,非要沿路数中华料理店,一人选一边,看看谁的店数多。从午后数到天黑,最终还是我的左侧更胜一筹。我们把有趣的店名拍下来,整理到一起。本打算贴出来的,后来想了想,直接丢进了回收站。享受的是过程,干嘛非要搞个结果留念呢。下周我们去比拼便利店。 自从搬出早稻田就不坐地铁了。从地下到地上的通勤方式让我把注意力从人转到了景,或者说整体画面中流动的人。感觉更能体会日本传统美学“侘寂”中内含的朴素和安静。不知道是秩序屏蔽掉噪声使得事物更接近自然状态了吗?

日本人真会过劳死吗?

文/三田 端正的工作态度是做给别人看的,在日本也一样。这个,我进公司那阵儿就懂了。下班要等领导和前辈先走之后才能动,老一代日本管理层坚信大家一起加班奋斗才是团队精神的体现,同时还能维系同事间情感,他们中的很多视加班为职场润滑剂。 最初我也先走过几次,因为工作都干完实在无聊。没多久前辈就旁敲侧击地开始”关怀“我的工作情况,同期(同一年进公司的应届生)也会私下与我”交流“,领导甚至都不用给脸色,自诩工作高效、态度认真的我就拗不过,乖乖顺服下来。当然后来加班愈多也没机会早回去,回家的问题就自然而然地解决了。加班越发红火,却发现一直否定我工作”作风”的那位同期一个礼拜没来上班,才意识到加班也有适合不适合这一说。等到他一个月都没来露面的时候,终于从前辈那里听到了官方说法:他得忧郁症了。一个平时谈笑风生工作起来认真负责的人,精神面却脆弱得可怜。修养一年后归队的同期被调到处理杂务的企划部门,做着不痛不痒的活儿,我也不知道他是被抛弃了,还是被救了。只能感叹:不愧是发明”过劳死“的国度,对待此类事物如此镇定自若,处之泰然。 过劳死是因为工作时间过长、劳动强度加重、心理压力过大、存在精疲力竭的亚健康状态,由于积重难返突然引发身体潜藏的疾病急速恶化。日本的经济奇迹造就了“过劳死”一词,经济奇迹的泡沫破灭后,企业通过削减人工成本及雇用兼职员工的方式,来应对需求持平或走软的状况,这意味着同样的工作量,要由数量下降了的全职雇员来承担完成。据说30来岁的男性超时工作问题尤为严重。官方数据显示,他们中有四分之一的人每周工作时间超过了60个小时,真实的数字则可能更高。 (上图平成25年是2013年) 大家或多或少都听过有关日本公司的加班轶事,其实没大家想象那么惨。NHK做过统计,过去十多年过劳死/过劳自杀的数量虽有3倍之增,但还不到200人,远远低于失恋自杀的人数。《中国青年报》的数字才叫人惊悚:“巨大的工作压力导致我国每年“过劳死”的人数达60万人——中国已超越日本成为“过劳死”第一大国。意味着每天约超过1600人因劳累引发疾病离开我国。“我承认引用中国青年报的数据是一大失误,不过哪怕除去一个零,也是我国人民比岛国人民劳动于水生火热。 正如中国青年报报道的任性,日本企业的长时间敬业加班也大有水分。据经合组织(OECD)统计,日本企业员工的生产力偏低,同样时间内...

芸術家の娘010

義理と人情。 日本映画によく出てくるテーマだけど、日本では家族であっても薄情だなと思うことが多い。 私はヨーロッパではイタリア人やスペイン人の家族関係ぐらいしか分からないけれど、日本とは違って家族という関わり自体が一つの大きな共同体のような感じになっている。 週に1度は家族(親戚のおばさんや従兄弟など)が家に来てご飯を食べる日があったり、結婚しても親に電話やスカイプで頻繁に連絡するのがあるべき家族の姿と考える人が多いように思う。これも、若い世代には不評のようで、なんで毎週親戚が集まらなきゃいけないんだと思ってる若者も多いらしい。 中国は日本よりも家族との関わりが強い印象がある。ドラマのテーマで親子関係や、母と子の絆を描くものが多いのが印象的。いい大人になっても自分の母親にだけは自分のダメなところを見られたくないというような心理が描かれるのは、中国らしいというイメージがある。 ヨーロッパと日本の家族の関わりで違う事と言えば、家族や仲の良い友人同士でもお互いの行動や趣味について批判したり悪趣味だと言ったりするのがごく当たり前の事で、例えば今日は旦那の妹が髪をバッサリ切った事について家族みんなでそれについてあーでもないこーでもないという議論を長い事していた。 日本では例えば自分の母親が明らかにおかしな髪型になって帰って来ても、ほとんどの場合その家族は「まあ、いいんじゃない?」みたいにお茶を濁して、それのどこがダメなんて話には一切ならない。批判するとしても、「うーん、何か変だけど、もう切ったから仕方ないね」というぐらいだと思う。 中国はファッションも髪型も人の数だけ違うという印象で、本当に個性的な格好の人が多過ぎて、ある意味自由、ある意味無法地帯という感じがある。 日本やヨーロッパでは雑誌やテレビなどの媒体で今年の流行りを派手に宣伝したりするせいか、同じような色合いの服や、流行りの格好と分かるような着こなしの人をよく見かける。 中国では洋服もオーダーメイドする人が多いというのと比例して、みんなが本当に自分にとって好きな格好のできるとても稀な国と言えるかも知れない。全体的には韓国ドラマなどのアジアドラマからの影響を感じるファッションが多めだけど本当に人それぞれで、台湾の数年前の流行りの格好をしている人などもいる。 ...

亲,来日本吧!

文/三田 早上6点起床,简单吃过早饭出门,他把车开到三岛站的停车场,走进月台看了一下表,五分钟后7:23发的东海道新干线驶来,列车途径热海、小田原、新横滨、8:09到达品川站后,再换国铁山手线到公司。这个人就是我的同事,叫渡边,每天提前半小时到公司,做起事来计划缜密、有条不紊。我问他每天要花掉3个小时往返公司不辛苦吗?他说车上可以看看书听听音乐,有时还能打盹小憩,习惯了就好。 针对首都圈上班族通勤状况的调查结果显示,上班族从家到公司单程平均耗时为58分钟,最多可忍受的时间为86分钟,而理想的通勤时间为35分钟。既不能太远,又要与公司、同事保持一定的距离。明澈淡远的君子之交被日本人所推重,而这微妙的半小时路程正好可以隔断公司的人情交际,独享生活私密空间。理想(35分)与现实(58分)的23分钟之差则是面对房价的妥协。 从1950年开始首都圈一都三县(东京都、神奈川县、千叶县、埼玉县)人口激增,60年比50年增加了37%,70年又比60年多增了35%,现今日本人口的四分之一居住在东京大都市圈。接受这些新增人口的是房价和地价相对较低廉的周边郊县,有代表性的如,西边的多摩新城和东边的千叶新城。此后在泡沫经济的催化下,距离市中心10-30公里半径的区域内堆满了大量的集体公寓和独栋住宅。 マイホーム(日式英语My Home)就是那个时代的日本梦,无异于我们今天的中国梦,和依然记忆犹新的破碎过的美国住宅梦。80年代许多在都心工作的上班族向银行申请了35年长期住房贷款,在开通私铁的郊县买地盖房。哪怕每天忍受早高峰一个半小时的通勤电车,想想老婆孩子能住上自家房一切都平静了。退休后用丰厚的退休金还清房贷,再拿剩下的钱把房子改造成两户式和子女一起生活。最终两套房子留给孩子,自己的养老问题也有了着落。 后来80年代末日本泡沫经济形成,信息产业、金融业等新兴产业向东京集中,这些郊县新城的功能性设想未能实现。如首都圈中有四个规模较大的新城(筑波、多摩、港北、千叶),除了筑波新城规划有大规模的高等院校及研究机构外,其他几处的“新城”都变为“卧城”。 到了90年代泡沫经济破灭后,首都圈人口增长放缓。2000年只比1990年只多增了5%,此后每年的增幅在1%徘徊。首都圈人口不增长了,反倒圈内的人口开始走动了。现在东京的年轻一代更倾向于离开父母在市中心租房。这种被称为“...

芸術家の娘009

音楽バカとして、中国語圏の歌手で好きな人たちの事を少し紹介してみようと思う。 もちろん、普段は中国語圏の歌手だけでなく世界各国の歌手を聴いているけれど、最近 章子怡が汪峰と熱愛発覚だと聞いてたまには中国語圏の音楽も聴くか〜という気持ちになったので。笑 中国に住んでいた頃、オーディション番組とお見合い番組が大人気で、毎日夜ご飯の後のゴールデンタイムは大抵そういう番組を見ていた。 見ていて思った事は、本当にみんな歌が上手い!才能のある人がこんなにゴロゴロいるのかと驚くほど歌の上手い人はいくらでもいる国らしい。 でも、勝ち抜いて行く人たちには個性があったり独特の味があったりして、ただ上手いのとは違う魅力があるんだろうなーというのが感想だった。 そのオーディション番組で紹介されていた曲はどれも名曲と呼ぶに相応しい曲ばかりだと思うけれど、汪峰の北京北京という曲は特に印象的だった。 何より、北京という大都市の、大都市ならではの寂しさや空虚さ?みたいなものがじんわりと表現されていて、あんまり中国ではメジャーでない、ロックらしさがあるところも良いかなーと思う。 中国って日中はとても忙しくて、喧騒とした街ばかりなのに、夜の世界は一転して静かで人が少なめで風が冷たくて、何とも言えない静けさに包まれている。東京や香港は夜になっても中心部やその付近には人がたくさん行き来していてとても賑わってるイメージがあるけれど、上海や北京の夜って少し違うという印象がある。 オーディション番組でみんながカバーしていた人気歌手で言えば王菲もたくさんの名曲がある人だと思う。標準語だけでなく広東語の名曲もたくさんあって、日本でも知っている人が多い。 彼女の歌が好きなのは音が綺麗だから。韻を踏んでいる美しさは音に敏感な人なら特に中国語に詳しくなくても何だか心地がいいなって気持ちになるんじゃないかと思う。 中国というのはバラードとラブソングの殴り合いみたいな、そういうロマンチックな国で、そうでないジャンルで生きていくっていうのはある意味逆風に吹かれながら歩いていくような印象を受けるけれど上に書いた2人は何ていうか、自分でそのジャンルを開拓してきた人みたいなイメージもある。 大陸の人ではないけれど、中国語圏の歌手では方大同も私のお気に入り。スペインで行った私たち夫婦の結婚式では披露宴の音楽に方大同を選んだぐらい夫婦共...

最近的一些坏习惯

对Apps右上角的未读通知“零容忍”,有一封未读邮件,一个未看fb通知都不痛快; 一个小时多次不自觉地摸手机; 注意力不持久,总是在几个事物之间跳跃,而且非常容易受外界干扰; 站起来的时候总下意识地把手伸到钱包和手机位置确认; 做工作喜欢从简单容易的任务做;总想设法取悦每一个人,却常常事与愿违; 企图购买不需要的东西;聆听得少,说的太多,而且很多不经大脑; 最可怕的是有意识地去暗记,却发现自己开始健忘了。。。

芸術家の娘008

こんばんは、saraです。 上海に住み始めて3ヶ月が経ちました。 日本人としてこの時期中国に住んでて大丈夫?といろんな人から聞かれますが、上海は意外と大丈夫な方なんじゃないかと思います。 何もないと言うと嘘になるけれど、この前も「国の事は国の事だから、俺らの生活に関係あるのは日々の仕事や家族の事で、国の事じゃない。だから日本人だからって気にしなくていいよ。」と、あるタクシー運転手に言われました。 上海に住んでみて、一番のカルチャーショックだったのは地元上海人の考え方かもしれないです。香港に住んだ経験もあるし、大陸内の上海以外の地域出身の友人も多いのですが、これまでに接した友人や知人たちとは全く違った感覚で生きているんだなーとしみじみ思う事が多いです。 特にビックリしたのは彼らの恋愛感覚の違いです。 上海では、テレビのお見合い番組にも男性とその母親が同伴してテレビ出演しているような場所なので、やっぱり家族の意見が恋愛や結婚にも重要になってくるようです。 知り合いに外国人の60代後半と付き合っている上海人の20代後半の女性がいて、彼女と親しくなってよく話すようになったのですが、彼女に以前の彼氏の話を聞いたところ「前の彼氏は他の地方出身の大学の先生で3歳年上だった。」と話していました。日本で考えると3歳年上の大学の先生と、60代後半のおじいさんとどっちがいいかな?って考えた時に、ほとんどの人は「三歳年上の大学の先生」を選ぶんじゃないかと思います。でも、彼女にその元彼と別れた理由を聞いたところ「家族が上海以外出身の人は絶対にダメって猛反対だった。」と言うのです。それで、「今の彼氏については家族は何て言ってるの?」と何気なく聞いてみると「私のおばあちゃんもみんな気に入ってるし、よく週末に一緒にご飯を食べたりしてるよ。」との事。 でも、そのおじいさんは心臓にはペースメーカーが入っているし、前立腺がんの手術もしているので彼女が子供を産めるかというと絶望的なんじゃないかと思います。でも、家族も賛成と聞いたので「外国人なら上海人じゃなくても家族もみんな賛成って言うこと?」と聞いてみると、「うん、だって外人は外人だもん。」との事。 その時の会話は彼女には当然の事という感じだったけれど、私には何一つ理解できず・・・でも、話をよく聞くと「おじいさんはお金がたく...

芸術家の娘007

おはようございます、saraです。 最近、中国での物件探しを始めました。 今はスペインのバルセロナに住んでいて、今までスペインではバレンシア、マドリード、バルセロナで生活したことがあります。海外生活というと留学していた香港に住んでいたこともあります。短期留学では西安にも住んでいました。 今回、自分で物件を探そうとしてみていくつか驚いたことがあったので、この記事を書く事にしました。 もちろん、今までに本などで読んで知っていたこともあるのですが、日本と違って生活スタイルが本当に多様なんだなと実感させられました。 まだ海外生活の経験は浅いけれど、今までに見聞きした範囲で各国の状況を比較してみたいと思います。 スペイン 現在不景気ということもあって全体的に家賃はそんなに高くないです。私が住んだり見たりした範囲で言うと家賃は6万ぐらいから10万ぐらいの価格帯が一番多い気がします。郊外や地方都市だとかなり安く、都市部でもそこまで高くないという印象です。もちろん、高級住宅地の家賃はそれなりに高いと思います。広さは細かい数字までは聞いていませんが70平米以上ある場所が比較的普通なような気がします。間取り的には寝室が三部屋以上ある家に住んでいる人が多く、リビングやキッチンもゆったりしていて、シャワーやバス、トイレなどは二カ所以上ある物件が多いです。 スペインの物件がこういう間取りになる理由には家族や親戚、親しい友人というコミュニティーを大切にする習慣があるからだと思います。 大学生はお金がないので大抵は2〜3人ぐらいで上に書いたような一般的な物件をシェアしているケースが多いです。そうすると都市部の便利な立地で家賃が例え12万ぐらいしても二人や三人で分ければ4万〜6万ちょっとという感じで、かなり経済的になります。 中国の都市部でもそうらしいですが、ここスペインも基本的に賃貸には家具や家電の一部が付いている事が多いです。更に新しく必要な家具・家電を追加・交換してもらう際には追加で少しお金を払って大家に購入してもらうそうです。 日本 日本で大学時代に見聞きした友人の物件の多くは一人当たり7万ぐらいから13万ぐらいが多かった気がします。もちろん、家族で住めるような広さはなく、「狭くて友達も呼べない」という物件に住んでいる人が多かった気がします。 ...

芸術家の娘006

こんにちは、saraです。 今回は理系脳と文系脳について少し語ってみたいと思います。 日本では高校以降から完全に理系か文系かに分けて勉学を始める訳で、他の国でもきっと同様に「理系」なのか「文系」なのかで進学する大学の選択肢や就職先など全く違う人生になると言っても過言ではないぐらい大きな違いが生まれてくるのだと思います。 ただし、自分の事を考えてみるとただ「理系」とか「文系」とかに縛られてどちらか一方の才能しかないというタイプの人間とは少し違うのではないか?と思うことがよくあります。 人間には「ビジュアルで考えている人」と「言語で考えている人」の二種類のタイプがいると聞くし、右脳中心の人間か左脳中心の人間か?というような本で紹介されている通り、みんなある程度どちらかに分類することができると考えられているように感じます。 周りには言語や論理について理解して運用する能力は高くても図形やサイコロの裏側がどうなっているか?という事を全く想像する能力がない人もたくさんいます。それを聞くと「この人は言語中心なんだな」というように比較的はっきり分かる人が多いように思います。 自分の家族はというと私以外は全員理系で親は芸術家ということもあって完全に「ビジュアル中心」の血筋を感じます。 同時に、小さい頃からいろんな言語に触れて育ったせいか、言葉に対しても敏感に育ってきていて、弟のように本を読もうとしても3秒で眠りに入ってしまうような理系頭の人と違って、自分はそれなりに読書や文章を書くということを楽しんできました。 以前の会社は完全に理系中心の「機械系メーカー」で、営業の人は基本文系という環境でした。会社の上の方にいる人たちの中には「文系と理系の部署で全く意見が合わない事が多くて、お客さんのニーズが開発まで届かないから全く無駄な物を必死になって作っていたり、すでに実現できる技術があるのに営業が取引先に無理だと断ってしまったり、非効率な事が多い。」と嘆いていた人もいました。理系だらけの部署の人からも、文系だらけの部署の人からも「誰か両方について理解できるような人が橋渡しになってくれる日が来たらいいけれど・・・」という話を聞くこともありましたが、そもそも会社の中ではどちらの部署がより価値があるか、より「儲け」を生み出せているかというような競争のようになっていて部署同...

芸術家の娘005

こんにちは、saraです。 今回は日本の学歴社会と自分の経験とを織り交ぜて話をしたいと思います。 高校に行かずに大学に行く。と聞くと普通の人はどう感じるでしょうか? 私は高校に通わずに大学に進学しました。 でも、こういった変わった経歴の人間 は日本ではまだまだ珍しい部類に入ります。 地元福井では短大卒という女友達が最も多く、田舎には「女が四大なんて。」という人も少なくありません。福井の女性は昔から京都などで「お手伝いさんや女中さんは福井出身の人が真面目でよく働く」と言われてきたそうで、若い頃から働いてたくさんお金を貯める方が少し賢いだけの怠け者より「大したもん」と言われるような社会です。 時代は違いますが私のおばあちゃんについて言えば、若い頃に大阪に出て地元に戻って初めて自分の美容室を持ったのが21歳というから驚きです。こういう独立心と起業心旺盛なところも福井女性らしさと言えそうです。 さて、日本は学歴社会だ!と言われているけれど、本当にそうなのでしょうか? 大学まで終えて自分が感じている印象は日本の教育制度や「学歴社会」と呼ばれているものは電車でいうところの「快速電車」のようなものだと思います。決して新幹線や急行電車のような制度ではないと思います。 ということで、一度何らかの理由で途中下車してしまってもまた急行や新幹線に乗り換えて快速に追いついたり、各駅停車に乗り換えてのんびり進むということも不可能ではないと思います。 とは言え、経歴書に謎の空白や人と違う別の履歴があるというのは明らかに「風変わり」と思われることには間違いないです。笑 さて、私はどのようにして中卒から大卒になったのか、少し説明してみたいと思います。 1、中学時代に病気になって入院生活を送る。 2、出席日数ギリギリで中学を卒業。入院中につき、高校受験を断念。 3、高校二年に当たる年齢で大検(大学入学資格検定、現在は高認と呼ばれる高等学校卒業程度認定試験という名称で8科目になったそう。)を受験。周りは高校を退学になったと思われるアフロ頭やバイク野郎など全員不良にしか見えないような出で立ちの人ばかりで、隣の席には明らかに麻薬中毒者と見て分かるような注射跡だらけのお姉さんが座ってくるという状況の中、12科目という途方に暮れるような量の試験を受けて、合格する。 4、大...

芸術家の娘004

こんにちは、saraです。 今回は私が中国文化や中国語に興味を持ったきっかけを思い出してみたいと思います。 タイトルにもあるように両親が芸術家(父は画家で母は彫刻家)なので、親の仕事の量や忙しさにはバラつきがあります。私が小さい頃は母の彫刻の仕事が忙しくて、作品の納期が近くなってくると両親二人共夜中になっても帰ってこないというのが普通の日々でした。 母の作品の多くは鉄やブロンズ、アルミニウム、石などの素材を使うので、溶接や仕上げの作業が遅れたり、納期に間に合わないとなると職人に任せるだけでなく両親たちもグラインダーやヤスリを使って研磨の作業をしていました。 ということで、幼い私は日本に戻ってすぐの三歳からお留守番生活が始まりました。 親も遅くまで帰れないのを気にして、私にお留守番の時に見るビデオというのを用意してくれたりしました。 私は音楽が大好きだったので、マイケル・ジャクソンの映画「ムーン・ウォーカー」や、ビートルズのシュールな映画「イエローサブマリン」、子供向けのクレイアニメなどなど。中にはツイ・ハーク(徐克)監督が製作した幽霊の出てくる映画などもありました。 ちなみに我が家では漫画、ドラマ、雑誌などは「想像力が乏しくなる」という理由で全面禁止で、なぜか映画は見ていいと言われて育ちました。 当時はほぼ毎日のように親の帰りが遅かったので、私はただひたすらこれら数本のビデオを繰り返し見ていました。でも大抵の場合、映画一本を全部見終わるよりも先に自分が寝てしまっていました。 私が小学校になった頃に1キロ離れた友達の家よりも更に近い、子供でも歩いて3分ぐらいの場所に同じ年の転校生がやって来ます。それまではジェニーちゃんやリカちゃんでお馴染みの人形遊びと子供向けの映画しか知らなかった私ですが、東京からやって来たという彼女の家には田舎にしては珍しく変わった漫画やビデオがたくさん置いてあって、うちにある見飽きたビデオよりも面白い物がたくさんありました。彼女の家には当時日本で流行っていた香港のキョンシー( 殭屍 )映画のビデオがたくさんあって、毎日一本ずつ、学校が終わるとランドセルだけ家に置いてその子の家に通ってたくさんビデオ鑑賞をしていました。(80年代後半) 日本でキョンシー映画の流行が終わって少しすると、また香港からゴールデン・ハーベスト(嘉禾電影有限公司...

芸術家の娘003

こんばんは、saraです。 最初の投稿で私は日本の田舎で育ったと書きました。 もちろん、地域によって習慣や行われている行事など全く違うものだと思いますが、あくまでもその一例として今回は私の実家のある地域の農村社会について書きたいと思います。 私が三歳から育った田舎には、歴史の教科書の中でだけ使われているような古い日本語の単語を今でも日常的に使っている人がたくさんいます。例えば「年貢米」や「寄合」と言った言葉です。 この「寄合」は私たちの地域ではどの田畑にどういう順番で水を配分するか、というようなことを決める会合のようなものです。他にもお祭りなどの行事をいつ行うかなども議論されます。 また、私の田舎では今でも藁でできた蓑などを愛用している農家の方を多く見受けます。葛飾北斎の浮世絵に出てくるような風景が今でもそのまま残っているような場所です。宮崎駿の「となりのトトロ」に出てくるような田舎の風景を想像してもらってもいいと思います。 私の実家には毎年ご近所の方からの「年貢」が届きます。ある日朝起きると玄関の前に野菜が置いてあったり、家までお米を持ってくる人がいたりするのです。 これは、私の実家が昔地主だった頃の名残で持ってきてくれているようですが、どれぐらい前からその習慣があるのかは不明です。ただ、元々私の先祖に当たる人が持っていた土地を農地改革や話し合いで過去に譲渡された人たちが、慣習的に行なっているようです。 私の実家から一番近い友達の家まではちょうど約1キロあります。3歳の頃に初めて彼女の家まで「歩いて行ってみなさい」とおばあちゃんに言われて一人で行った時には、山を一つ越えてその先に行くぐらい遠い場所だと思いながら歩いたのを今でも覚えています。 そんな地元の友達の家にも今はインターネットが通っていて、海外からの留学生のホームステイ受け入れなどをやっているらしいです。 私がスペインに行くと地元の友達に話した時には「あんなド田舎から外国にお嫁さんに行く人がいるなんてびっくりやな~」と言われました。 田舎には都会の便利さなどはないけれど、その代わりに昔からの強いコミュニティーがあります。 町の中のどの家にも大抵屋号や通称名のようなものがあって、例えば昔水車があった家には「みずぐるま」という名...